2月22日てんでんこ 首長たち「17」

朝日新聞2017年2月15日3面:小さな村だからこそできた。住民と会合を重ね、再生計画がまとまった。 「小さな村だからこそ、できたこと」人口7千人足らずの熊本県西原村長、日置和彦(70)はふり返る。熊本地震本震の2016年4月16日。「お互いの顔が見えるように」と村役場の1階に約70人の全職員を集め、真ん中に陣どった。夜明けまでに全村民の安否が確認できた。連日働き続け、青白い顔をしていた職員がいた。何度も「帰れ」と命じたが帰らない。「なぜ」と聞くと「全壊して帰る家がありません」。自宅に招いて寝かせた。
日置は建設業や村消防団長の経験がある。顔が広く地形も頭に入っていた。復興事業は職員の裁量に任せつつ、にらには利かせた。被災集落の再生計画作りを託したのは、子供の頃から知る職員の吉井誠(48)。「住民が納得するまで徹底的に寄り添え」と命じた。新潟の中越地震で復興支援を経験した佐々木康彦(38)を応援職員に迎え、2人で集落の住民と100回を超す会合を重ねた。
行けば必ず飲み会になった。「役場でまとめてくれ」という住民に、吉井は「知恵は貸すが、地域でまとめないと進めない」と突っぱね、怒鳴り合ったこともある。「よく知る相手。兄弟げんかのつもりで向き合った」。佐々木は、なだめ役に回った。
被害のない場所に集団移転するか、慣れ親しんだ元の地区で再建するか。地震直後、住民の心は揺れた。日置は村のどこに移転しても同じだと思っていた。ほぼ全域が2~3メートル沈下していたからだ。「一度地震が起きたから次は2千年後。起きていない所より安全なはず」と学者の言葉を借り、説いて回った。日を追って住民の気持ちも落ち着いた。住民も地割れの間に木を通した観測計を作り、動いていないことを自分たちで確かめた。
個々に集落を去った世帯もあったが、全地区が現地再建に収斂していった。地震から1年半を過ぎた昨年11月、被害が甚大だった6集落の再生計画がすべてまとまった。地震直後、避難所で「家がなくなった。死にたい」と泣く女性の顔が今も浮かぶ。「宅地の復旧なくして村の復興はない。早く工事発注を終えねば」。日置はまだ休めない。同じ被災自治体でも、西原村の100倍の人口の都市では事情が全く違った。(東野真和)

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