2月17日 決論ありきか国の避難者支援班文書

東京新聞2019年2月11日22面:詳しく調べず「問題なし」 事故1ヵ月「幕引き」準備 経産省強い意図? 東京電力福島第一原発事故の幕引きは発生から1ヵ月足らずで始まっていたのか。本紙が情報開示請求で入手した文章には、国が2011年4月8日の段階で避難者の放射性被害を否定する見解が記されていた。やはり、というべきか。既に報じてきたように、国は同年3月末で甲状腺内被ばくの測定を行い早々に打ち切り、被ばくの実態から目をそらした。このころにやるべき作業は、乏しいデータから結論を無理やり導くこと、ではなかったはずだ。
「(放射線被害が)分かりませんと言い続けるのは無責任という話でがあって。避難者の方々の不安を解消するため、ひどいことになっていないと伝えようと」語ったのは渕上善弘氏。当時、原子力被災者生活支援チームにいた。問題の「最初の爆発から2日あまりで20㌔圏外に避難すれば、線量は十分少なく健康上問題無い」という内容の文章を作った。つまり、文章は彼らなりの寄り添いだったということ。しかし、丁寧に被ばくの状況を調べなまま問題なしと判断する方が、よっぽど無責任だったのではないだろうか。支援チームは、渕上氏がいた経済産業省の官僚を中心にした特命班だ。事故から29日、国の原子力災害対策本部の下に発足した。今に至るまで活動を続け、何かと物議を醸してきた。
決論ありきが疑われた福島県の県民健康管理調査が始まった際に携わり、事故から数年がたつと、避難指示が解除された地域への帰還を促してきた。「安心の押しつけ」と非難されたリスクコミュニケーションの旗振り役でもある。支援チームが産声を上げた直後に取り組んだのが、被災者の被ばく線量の分析だった。発足から6日後の4月4日には関係省庁による非公式の打ち合わせをし、8日には本会合。そして、問題の文章を示した。事故からまだ1ヵ月弱もたっていない。健康影響を否定する文章を示した意味はどこにあるのか。事故の後始末の方向性を早々に共有したかったのだろうか。
経産省上層部は、強い意図をはたらかせたようだ。「私はパシリ」と自認する渕上氏が「経産省の技術系のトップみたいな人の命を受けた」と述べてからだ。「避難者は健康上問題無い」はどう導いたのか。文章では、避難者の外部被ばくを重点的に扱い、全身に及ぶ影響として「1.2㍉シーベルト程度」と算出した。国際放射線防護委員会(ICRP)の線量限度にほぼ収まる範囲だったという。しかし、肝心の甲状腺の内部被ばくは、国の測定で問題がなかったと記す程度。渕上氏は「国の測定データで評価できると判断したように思う」と語る。そんなに信頼できる測定だったのか。改めておさらいしよう。
11年3月24~30日に実施。原発の30㌔圏外を対象に、15歳以下の1080人を調べた。国の指示で20㌔圏から避難した人らは対象外。複数の測定担当者が取材に「遠方ながら人が住み続けた地域が一番リスクは高い」「測定すると全員が基準を下回ってため、他はそれよりも低いと考えた」と答えた。渕上氏らもそう捉えたようだ。既に報じられたように甲状腺測定から7日後の4月6日の経産省の資料には「放射線量が増加し始めた頃には避難が完了」とあった。2日後、今回の文章が出た。問題なしの判断は、経産省としては、当然の流れだったのかもしてない。「これまでの本紙報道」①放射線医学総合研究所(放医研)が、原発に近い福島県双葉町にいたとされる少女の甲状腺被ばくを「100㍉シーベルト程度」と推計(1月21日) ②「放射線の影響ニコニコ笑う人に来ない」と講演した長崎大の山下俊一教授が、子どもの甲状腺被ばくについて「深刻な可能性がある」との見解を示していた記録があった(1月28日) ③2011年4月6日にあった国会答弁の経済産業省の資料に「放射線量が増加し始めた頃には避難は完了していた」とあった(2月4日) (榊原崇仁)


同日23面:「国の出先」言えない空気「データ採りたくない」放医研の苦悩 「避難者は健康上問題無い」と評価が示された11年4月8日の段階で、本来は何をすべきだったのか。先にも触れたように、国が3月下旬に行った甲状腺測定は対象地域が原発の30㌔圏外で、調べたのが1080人のみ。地域的な偏りがあり、数も少ない。国の指示で20㌔圏から避難した人らは、そもそも調べていない。逃げ遅れた人がいた可能性が高いのに、この人たちを測定せず、問題ないと判断するのは乱暴すぎる。被ばくの全体像をつかむため、多くの人を測定すべきだった。なぜ追加で測定しなかったのか。国の担当者たちによると「もう時間がない」という理由から対象を絞り、測定も終えた。意識したのが半減期だ。放射性物質は時間がたつにつれて減る。半分になる期間が半減期。甲状腺の内部被ばくで問題になる放射性ヨウ素なら8日になる。事故から約2週間の3月下旬は、測定できるギリギリの量が体内に残っていた。それを過ぎると減ってしまい、測れない。国の担当者たちはこう判断した、ということだ。彼らは「一緒にいた放射線医学総合研究所(放医研)の専門家からそう聞いた」と語る。
本当に測れなかったのか。さらに時間がたってから独自に測定した研究者がいる。放医研OBで弘前大の床次真司教授らだ。4月11~16日に原発から北西に30㌔ほど離れた浪江町津島地区などで62人を調べた。高精度の機器、スペクトロメータ使った。甲状腺の内部被ばくは多い人で33㍉シーベルトと発表した。床次氏は「機器は重さは3㌔ぐらいで持ち運びも簡単。私たち以外にも持っている所はあった。放医研にも何台かあったはず」と語る。
放医研の被ばく線量評価部長だった山田裕司氏はこの機器があったと認めた。山田氏自身も08年2月の原子力安全委員会の会合で、事故時にスペクトロメータを使うよう勧めていた。しかし放医研がこの機器で被災者の甲状腺測定に動くことはなかった。「他の用途があって多分、持っていった」(山田氏)
本紙には放医研関係者から当時の対応を巡って複数の内部告発が寄せられた。対面取材で話を聞いた例もある。「放医研は基本、国の出先。幹部に中央省庁から来た官僚がいる。彼らのご機嫌を損なうことができない。余計なことをするなという空気が広まっていた」「事故が起きてから、データを採りたくないというのが前面にあった」広く測定しなければ、被害の実態はつかめない。責任を問われかねない国にとっては、測定しない方が都合が良いのかもしれないが。問題の文章が示された11年4月8日の会合には放医研の緊急被ばく医療研究センター長、明石真言氏が出席していた。事故対応で理事長に次ぐナンバー2。甲状腺被ばくの状況をどう認識していたのか。明石氏はこう答えた。「国の甲状腺測定では、線量が髙い人でも50㍉シーベルト、100㍉シーベルトにならなかったはず。避難していればそこにはならないと判断していた」。残念ながら支援チームと似た考えだった。
放医研関係者からこんな言葉が届いている。「明石さんは100㍉シーベルトを超える子どもがいないと言わされていたのではないか。情報がないのに言えるわけがない。矛盾のある中で公務員として頑張っていた気がする」問題なしで関係機関が動く中、放医研は5月に入り、双葉町にいたという少女の甲状腺被ばくを100㍉シーベルト程度と推計した。測定から外された原発近くに、深刻な被ばくをした人がいた可能性を示すものだ。しかし、今年1月の本紙報道まで伏せられ、明石氏や山田氏の記憶にはなかった。 デスクメモ 空港、道路、ダム・・。国が何か造ろうとした時、必ず後押しするような需要予測が出てきた。完成して、どうだったか。自分たちの都合に沿うよう調査をなぶるのは甲状腺測定も同じ。客観的であるべき調査やデータに対する不誠実さに、今の統計不正とつながる何かを感じる。(裕)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る