2月17日 時代を読む 内山節

東京新聞2019年2月10日5面:自然災害の陰にある「人災」 何が起こるのかわからない一年が、またはじまった。地震、噴火、大型台風などの襲来もあるかもしれないし、世界がどう変化していくのかも、日本の社会が安定を維持していけるかのかどうかも予想を困難にしている。今年は、そんな一年と付き合っていかなければならないだろう。伝統的な思想では、日本の人たちは、社会は自然と人間の力で作られていると考えてきた。欧米だと、社会は人間が創造したということになるのだが、日本では自然もまた社会を創造したメンバーとしてとらえられてきた。だから日本では、自然はどのような社会を求めているのかという視点を、人間たちは持たなければいけなかったのである。群馬県上野村にある私の村の家は、周囲を山や森がつつんでいる。その自然を見ていると、自然は何よりも無事を求めているという気がしてくる。これまでと同じように無事に春を迎え、春が過ぎれば無事な夏がやってくる。自然にとっては、それが何よりなのである。無事が維持されれば、森のなかでは、花が咲き、秋には実が落ちて、虫や鳥、動物たちが暮らす自然の世界が守られていくだろう。
さらに述べれば、自然にとっては、自然災害はどうということもない。たとえ大きな崩落や洪水が起こったとしても、自然はその変化を受け入れ、再び無事な自然をつくりだしていくだろう。自然にとって困るのは、人間によってもたらされる変化である。コンクリートとアスファルトによって固められた都市は、自然が生きることを拒絶している。自然を排除してしまったかのような河川や海岸。戦争や有害物質、放射性物質などうによる汚染をふくめて、人間たちは自然が無事に生きられない世界を、各地につくりだしてきた。そしておのあり方は、人間にとっても同じだった。かつての人間たちは、自然災害に対しては、被害を最小限に食い止める知恵を働かせてきた。洪水や崩落がおきやすい場所には家を建てず、いざというときの逃げ道も確保した。ところが今日の社会は、大災害を生みやすい構造をつくっている。もしも東京で大地震が起きたら、一体どれだけの被害がでるだろうか。
自然災害が、人間たちがつくった社会構造によって大災害になっていくとしたら、半分は人災である。原発事故によって、安心して住めない広大な場所が生まれたように、大きな危機の陰には、人間の誤った行為が隠されている。さらに社会や世界の不安は、すべて人間がつくりだしたものだといういってもよいだろう。外国との対立は、日本の政府が諸外国と友好的な関係を築いていないことから発生したといってもよい。
格差社会から生みだされる不安、お金をばらまくことしかしてこなかったこの間の財政、金融政策から発生する経済破綻への不安、拝金主義を助長しつづける政策がもたらす社会荒廃。そしてひたすら権力の維持と自己の保身に走る政治。そういう今日の退廃が、何が壊れていっても不思議ではない、不安に満ちた時代をつくりだしている。残念ながら現在の私たちは、いまの社会も政治も経済のあり方も、うんざりするほど退廃していることを認めざるをえないのである。そして自然が無事を求めるように、私たちもまた無事な社会や世界を求めて、この時代と向き合っていくしかない。(哲学者)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る