2月16日てんでんこ 首長たち「13」

朝日新聞2018年2月8日3面:「石碑より、津波を意識した設計に町をゼロから造り直す」 元日の宮城県・JR女川駅前。今年も天気に恵まれた。海の方向に370メートル続く商店街のプロムナードの真正面から、初日の出が上がる。それを見に約千人が集まった。店が売る雑煮や豚汁を食べビールで乾杯する。その中に女川町長の須田善明(45)もいた。この風景が見える設計は、須田のアイディアだ。「見に来る人が1年で最初の経済活動を生み出してくれる。余計なお金は1円もかけずに空間に価値を持たせることができた」
女川駅前は2011年3月11日の東日本大震災後、津波対策で海抜5~8メートルの高さに盛り土された。坂を上った海抜20メートル付近には宅地整備が進む。計画を最初にまとめたのは、前の町長の安住宣孝(72)だ。震災3日後には「防潮堤を造るより、住まいを高台に移し、海が見えた方がいい」と心に決めた。
震災の死者・行方不明者は町人口の1割近い827人、家屋は4分の3が全半壊した。役場庁舎も津波に襲われたが、職員は屋上から裏山に逃げて全員助かった。小学校を災害対策本部にして被災者対応を指揮しながら、安住は思った。「津波前から高潮の冠水などで悩んでいた。石碑を建てるより、町をゼロから造り直し、津波を意識した設計にする方が教訓を生かすことになる」
山が海の近くまで迫り平地が少ないリアス式海岸の地形。山を削り、その土で低地を盛り土して高台を造るには都合がいい。早く国や県に示さないと防潮堤を前提とした構想を持ちかけられるかもしれない。安住は県幹部を巻き込んで11年5月には有識者会議を始め、お盆前に復興計画をつくった。壊滅的な被災自治体の中では最も早かった。浸水しても、慣れ親しんだ元の場所に住みたがる人はいた。安住は「それならそこに仮設住宅を建ててあげる。電気も来ない。住みますか」と説得した。「いやな町長だなと自分でも思ったが、計画が遅れると住民の心も折れてしまう」と合意形成を急いだ。
町長の任期満了は11年9月だったが、震災で選挙は11月に延びた。震災前は引退を考えていた安住だが「立場上、大きな責任と使命感がある」と9月の議会で4選を目指す考えを示す。数日後、仮設庁舎の町長室を当時県議だった須田が訪ね、頼んだ。「我々の世代に委ねてください」(東野真和)

 

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