2月11日 「線量増加前に避難完了」答弁資料

東京新聞2019年2月4日1面:逃げ遅れなし判断か 甲状腺被ばく測定30㌔圏対象外 東京電力福島第一原発事故後に国が行った甲状腺被ばく測定を巡り、経済産業省の内部資料に「放射線量が増加し始めた頃には避難が完了したため、避難者は調査せず」と記されていることが分かった。「逃げ遅れなし」とみなし、避難指示区域となった原発から20㌔圏の人らは調べなかったとみられる。実際の測定では30㌔圏外の人たちが対象となったが、より近くから避難した人らが対象から外れた理由はこれまで明らかでなかった。
資料は本紙が情報開示請求で入手した。事故から1カ月近くたった2011年4月6日の参院災害対策特別委員会の答弁用に作成された。甲状腺測定について「3月12日に20km県内に対する非難指示がなされてたことにより、放射線量が増加し始めた頃には、既に避難は完了していたと認識しているため、避難者に対する調査は行っていない」と記述。答弁では読まれなかった。この資料には、所管者として同省原子力安全・保安院企画調整課長の片山啓氏と保安院付の野田耕一氏が記載されていた。
片山氏は国の事故対応をつかさどる原子力災害対策本部で総括班長を務めた。現在は原子力規制庁の核物質・放射線総括審議官。本紙の取材に「当時は多忙な時期。資料は別チームの保安院付が作成した。内容は承知していない」と規制庁を通じで回答。野田氏は「手元に資料がない」と取材に応じなかった。一方、測定の担当者らは「一番リスクが高いのは人が住み続けた30㌔圏外と判断して測定した。基準を超えなかったため、他地域もリスクは低いと考えた」と述べた。資料は国の研究機関・放射線医学総合研究所(放医研)が保有していた。11年4月の国会答弁に合わせ、関係機関で認識を共有するため、経産省から送られたとみられる。先月の本紙報道で明らかになった「甲状腺等価線量で100㍉シーベルト程度」の被ばくと推計された少女のように、逃げ遅れた人がいた可能性が高い。
第一原発で最初に爆発が起きたのは、震災発生翌日の11年3月12日午後3時36分。国は10時間近く前に10㌔圏に避難を指示しており、逃げる人たちの大渋滞が起きていた。午後6時すぎ、避難指示区域は20㌔圏に拡大された。国の資料によると、同圏内の人口は約8万人だった。国は24~30日に甲状腺被ばくを測定。対象地域は30㌔圏外で、測定した15歳以下の1080人全員が基準値を下回ったと発表した。福島県の県民健康調査検討委員会の星北斗座長は15年2月の会見で、多く測定されなかった理由は「分からないとしか答えようがない」と述べた。(榊原崇仁)

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