2月10日てんでんこ 首長たち「8」

朝日新聞2018年2月1日3面:「スピード感を共有できなかった」。住民や議会からの批判にさらされた。 プレハブ仮設庁舎の議場で、議員が行政のトップに厳しい言葉を繰り返した。「説明不足」「議会軽視」「合意形成の努力がみられない」 2013年21月、宮城県山元町議会の定例会。矛先を向けられたのは町長の斎藤俊夫(68)だった。議場では用語の発言も出たが、最後は「異議なし」の声とともに問責決議が採択された。
議会で批判されたのは、コンパクトシティーで復興を目指す姿勢だった。町は、被災した沿岸6地区の集落を内陸の三つの新市街地に集約する方針を選んだ。だが、遠くの新市街地ではなく、愛着のある元の集落近くに戻りたいとう要望が二つの集落の住民から寄せられていた。「支持者ら顔見知りも相当いて、最初からだめとはいえなかった」 斎藤は回答を保留したまま、新市街地の復興計画を進めた。ところが、そこに穴が開く。計画決定からわずか1年で、新市街地への移転を93世帯があきらめたのだ。
市市街地の空き区画の数は、元の集落近くに戻りたいと要望している戸数を上回った。新市街地が十分空くのに、別の場所を造成し、移転してもらうのは難しい。「力及ばず、申し訳ない」斎藤は問責決議を突きつけられる約2ヵ月前、元の集落近くを望む住民らに頭を下げた。要望から1年半が過ぎていた。住民の気持ちにも配慮してきた分、住民の期待は膨らみ、落胆もまた大きかった。「結論ありきで、独断だ」
そのころの住民説明会でも「もっと住民参加で」と不満が噴き出した。町議会も同時期、復興予算案を2度採決した。斎藤は「常に過半数以上の町民の意向をベースにしてきた」と反論する。同時に反省も口にする。震災までのどかだった地元との間で、「復興へのスピード感を共有できなかった」と振り返る。
いったん生じたずれは簡単には消えない。新たな津波対策でも住民と、住宅再建支援策でも町議会と緊張関係が続いた。「やるべきことをやり、一定の形になったのに‥」 震災から3年過ぎた14年4月の町長選で、紛糾の責が問われることになる。(山浦正敬)

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