2月1日てんでんこ 首長たち「1」

朝日新聞2018年1月23日3面:「学校ができれば、町民もついてくる」。大熊町長は、教育長に言った。 原子力発電所から煙が上がり、列をなした町民がバスに乗り込む光景で目が覚めた。なんて悪い夢を見てしまったと、福島県大熊町の町長、渡辺利綱(70)はヒヤリとした。だが横を向くと、現実に引き戻された。
隣で寝ていたのは、町の教育長、武内敏英(73)だった。そこは、町役場から40キロほど離れた隣の市の体育館。原発事故の翌日に避難した約2千人の町民と一緒だった。2011年3月11日の東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第一原発は、町内になる。町で暮らしていた約1万1千人は、全国に散り散りになった。
「各地に避難した子供が集まれるように学校を再開させたい」竹内から、進言されたのは、原発事故から6日目だった。「よし、4月から立ち上げるべ。大丈夫だ。学校ができれば、町民もついてくる」
身を乗り出した渡辺がその8日後に向かった先は、町から約100メートル離れた会津若松市だった。校舎として間借りできそうな廃校が多いうえ、病院が整っている。ここなら、町民がまとまって暮らせると考えた。
直談判した市長の菅家一郎(62)=現・衆院議員は、こう強力を約束してくれた。「会津藩も北辰戦争で敗れて斗南(青森県)に移った。これも何かの縁でしょう」渡辺が市役所を出ると、暗くなりかけた空に雪が舞っていた。オレンジ色の吉野家の看板が目に入った。同行していた竹内に声をかけた。
「牛丼食うべえ。一杯やっぺ」91台のバスで町民が会津若松に移動した。役場を設け、小中学校の入学式を開いたのは、事故から約1カ月後の4月16日だった。それから6年9カ月がたつ。町の役場も学校も、まだ会津若松にある。だが来春、役場は大熊町に戻る。(岡本進)
東日本大震災や熊本地震で、未曽有の苦難に直面した首長たち。そのとき何を考え、どう悩んだのか。被災地の首長の姿を追います。

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