2月1日てんでんこ 伝える「15」情報過疎

朝日新聞2019年1月26日3面:震災報道一色だが、被災地に必要な情報はない。「自分で伝えるしかない」 岩手県大槌町の菊池由貴子(44)が週刊の大槌新聞を始めたきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災だった。渋滞して進めなくなった車から出て、道路わきの神社の階段をかけ上がった。車は津波にのまれた。自宅は無事だったが、食料ととに不足したのは「情報」だった。
停電でテレビは映らない。避難所で古い新聞をもらって読んだ。各メディアは震災報道一色だったが、被災した地域の範囲が広すぎれ、地方紙でさえも大槌の情報は少ない。あっても遺族の心境のような話ばかり。「被災地の外の人が読む新聞。私たちに必要な生活情報はわずか。そもそもなぜ町外の人から情報を知らねばならないのか」 町の臨時職員になり、町のホームぺージに生活情報を載せる仕事をしたが反応はあまりない。11年10月に町の広報誌が再開したが、月2回だけで、多くの情報が小さな字で載り、どう復興していくか読み取れない。「自分で伝えるしかない」。菊池は1万円の新聞製作ソフトを買い、翌12年6月、1人で取材して、週刊の新聞を発行し始めた。当時は町民団体にいて、震災資料を集めたコピー機でA3用紙の裏表に印刷して置いておくと、口コミで知った町民が次々取りにきた。「コピーの無駄使い」と怒っていた同僚も認めるようになる。官民の助成金や広告を原資に町内全戸に無料配布するようになった。記者経験などなかったが、素人だからこそ、防潮堤の計画や再建費用の支援制度などを一からやさしく説明した。菊池自身の視力が弱いこともあり、大きな活字で大事な話題だけ簡潔に書いたこともありがたがられた。
店の再建など、町民には大事でも地方紙では伝えきれない記事。合間には、震災前の風景や、一緒に被災しながら人間を癒すペットを紹介する欄も作った。町内の犠牲者1286人の3分の1は行方不明。警察から身元不明遺体の似顔絵を取り寄せては、「わかるといいね」と泣きながら語りかけて載せた。情報を選び、平易に伝えるために新聞を始めた菊池。だが、記者会見に出たり町づくりの会議や議会を傍聴したりするうち、様々な問題意識が芽生えてきた。(東野真和)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る