2月1日 サザエさんをさがして キューバ危機

朝日新聞2019年1月26日be3面:核戦争の深淵のぞいた世界 往診に来た医師の「たいしたことにならず、よかったですなア」とは、病気のことではなく、「キューバ問題」だった。1962年10月に米ソ間で起きた「キューバ危機」のことである。核戦争の瀬戸際までいったが、米国のケネディ大統領と、ソ連(当時)のフルシチョフ首相による交渉で、回避された歴史的事件だ。東西冷戦が激しかったころだった。前年61年には、旧東ドイツによって「ベルリンの壁」が造られた。一般にキューバ危機は、ケネディがソ連によるミサイル基地建設を知った10月16日から、ソ連がミサイル撤去を発表した同28日までを指す。
当時の新聞をめくると、毎日のように1面に関連のニュースが報道されている。そのとき朝日新聞ワシントン特派員として取材してたのが、松山幸雄さん(88)=のちの論説主幹だ。近郊の歓楽街やゴルフ場からは、ほとんど人がいなくなった。「記者として、人間として、これほど緊張した時間を過ごしたことはなかった」と振り返る。危機は、22日のケネディのテレビ演説で公になる。実はその数日前、首相になる前の佐藤栄作氏がホワイトハウスでケネディと会っていた。「米国が佐藤さんを重視していたのかと思ったら、後に国務省の役人から『あれは危機体制を隠すためのカムフラージュだった』と言われた」と苦笑いする。
キューバ危機は映画にもなった。そのひとつ「13デイズ」は、かなり現実に近いという。戦争を避けようとする大統領が、空爆を主張する軍部とやり合う場面は、手の汗を握る。最終的には軍部を抑え、海上封鎖という方法をとる。弟のロバート・ケネディ司法長官らを使い、様々なリートで戦争回避を模索。そして28日、フルシチョフがミサイル撤去を発表、世界は核戦争の危機を脱する。
「ケネディー『神話』と実像」(中公新書)の著書がある元城西国際大教授(アメリカ政治)の土田宏さん(71)は「最終的には両首脳の信頼関係と、『絶対に戦争をしない』という強い信念があったから、危機を回避できた」とみる。土田さんが、信頼関係を示す「あること」を教えてくれた。
2人は、実に100通を超える書簡をやりとりしていたのだという。「文通」は、ケネディが大統領在任中の3年弱続いた。61年9月のフルシチョフからの書簡。黒海そばで仕事をしていることを伝えながら眼前の海の美しさにふれ、「海軍出身のあなたなら理解できるだろう」とつづる。返信でケネディは、マサチューセッツ州の別荘にいることを伝え、その場の海の美しさを語る。そして2人は、諸問題を非公式な個人的レベルでの対話を通じ解決していくことで合意する。
「まるで恋人同士の文通のようです。これでお互いの人となりや人生観を知るようになったことが、キューバ危機の解決に役立ったことは間違いないでしょう」と土田さんは解説する。危機をきっかけに、米英ソで部分的核実験禁止条約が結ばれた。だが63年11月、ケネディは暗殺され、約1年後フルシチョフも失脚する。89年、米ソの冷戦終結は宣言されたが、各地でテロは起き、核兵器はなくならない。「米国第一主義」を掲げるトランプ大統領と中国との対立も生んだ。首脳同士の信頼関係が、どこまであるのか、と感じる場面が多い。いまケネディとフルシチョフがいたら、世界情勢はづなっていただろう。そんなことを考えてしまう。(佐藤陽)

 

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