17日てんでんこ 皇室と震災Ⅱ【8】

朝日新聞2017年7月14日3面:皇后さまはバスに乗ると、窓越しに両手のこぶしを下に振るしぐさをした。1995年1月31日午前9時すぎ、天皇、皇后両陛下は兵庫県と大阪府にまたがる大阪(伊丹)空港に自衛隊機で到着した。自衛隊ヘリに乗り換え、午前10時ごろ、兵庫県の西宮市営グランド陸上競技場に降り立った。天皇陛下は深緑のジャンパーに黒のズボン、タートルネックのセーターを着ていた。
91年7月の雲仙普賢岳噴火での長崎県訪問、93年7月の北海道南西沖地震での奥尻島訪問、さかのぼって皇太子時代の59年に伊勢湾台風で愛知県などを訪問したときの服装は、背広にネクタイだった。被災地訪問で背広を着ないスタイルは阪神阪神大震災以降のことだ。隣接する西宮市立中央体育館には当時、市内で最大規模の1100人が避難生活を送っていた。陛下は貝原俊民兵庫県知事や馬場順三西宮市長(いずれも故人)から被害状況の説明を受け、医師に「かぜははやっていませんか」と尋ねた。避難する被災者には「大丈夫でしたか。皆で力を合わせてがんばってください」などと声をかけた。
西宮市秘書課長だった阿部俊彦さん(74)は、大型ヘリが砂ほこりを舞い上げながら着陸したことを覚えている。体育館で両陛下が就くを脱ぎ、ひざをついて被災者に語りかけ、背中をさすったり、うなずいたりしながら話を聞く姿を、遠巻きに見守った。被災者らが両陛下のすぐ近くに寄ってごった返す状況に「時代が変わったな」と感じた。中学生だった56年、昭和天皇が国民体育大会で兵庫県を訪問したのを沿道で迎えたが、「頭を下げているうちにあずき色の車が通り過ぎて、中も見られなかった」。
震災後に市民の力になったのは、両陛下の訪問と、中止されずに3月に開かれた選抜高校野球大会だったのではないか、と振り返る。両陛下は続いて芦屋市の精道小学校体育館の避難所を訪れた。芦屋市広報課係長だった藤井幹男さん(67)はステージの上にいた。
居合わせた被災者は200人くらい。両陛下が入り口で二手に分かれ、座って被災者に声をかけていくのを見た。かぜで寝ている高齢者が体を起こそうとして、天皇陛下が「どうぞそのままで」といたわる場面もあった。皇后さまはお見舞いを終えてバスに乗り込むと、車の窓ガラス越に両手のこぶしを下に振るしぐさをした。「がんばって」を意味する手話だった。(北野隆一)

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