15日てんでんこ 皇室と震災Ⅱ【6】

朝日新聞2017年7月12日3面:担当者は「被災者はあまりくどくど撮らないで、常識的に」と報道陣に頼んだ。 阪神・淡路大震災が1995年1月17日午前5時46分に発生した際、当時の貝原俊民兵庫県知事(故人)は県庁の北東4キロにある公舎で寝ていた。電話はつながらず、道は大渋滞に陥った。普段なら車で15分の道のりに40分かかり、県庁に着いたのは午前8時20分だった。
第1回災害対策本部会議を開いたが、部長約20人のうち出席者は3人。滝藤浩二県警本部長(75)に会えたのは午前11時、神戸市への災害救助法適用を決めたのは正午だった。初動の遅れを批判された貝原知事はその後、帰宅せずに県庁に100日間泊まり込んだ。知事公室次長兼秘書課長だった斎藤富雄さん(72)は「ご帰宅ください」と何度も進言したが、知事は「被災者は避難所に入っている。できるだけ同じ気持ちでいなければ」と言って、帰ろうとしなかったという。
斎藤さんも帰らず泊まり込んだが、秘書課行幸啓担当主査だった前田秀俊さん(60)ら部下には「交代で自宅に帰りなさい」と指示した。前田さんは1月末の天皇、皇后両陛下の兵庫県訪問までは堅調に泊まり、2月以降、帰宅できるようになった。
両陛下が1月31日に訪れたのは、兵庫県西宮市と芦屋市、神戸東灘区、長田区、北淡路町(現・淡路市)だった。県はあらかじめ、「わざわざお迎えのために人を集めたり整理したりすると、被災者の気持ちを傷つけるかもしれない。自然のままお見舞いいただく」と決めた。
兵庫県広報課報道係長だった山本康典さん(64)は県公報課の車で両陛下の訪問する避難所に先に到着し、報道陣の取材場所を指定するなど仕切り役を務めた。避難所には布団が敷かれたままだが、被災者はそこでくつろいでいるわけではない。震災発生から2週間、家を失い、今後どうなるか、生活の見通しの立たない不安の中にいた。
「両陛下の被災者に対するお気持ちを第一に考え、あまりくどくど撮らないで、常識的にお願いします」。報道陣にそう依頼した。報道担当として、94年5月の全国植樹祭でも両陛下を迎えた。そのときは1年以上前から綿密にシナリオを作り、予行練習を重ねて臨んだ。だが、今回の被災地訪問は、被災者約30万人が避難生活を続けているさなか。ほぼ、ぶっつけ本番だった。(北野隆一)

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