12月7日 窓 40年間 あなたの声が

朝日新聞2018年12月2日31面:青森県八戸市の短歌の会に昨年10月、青森放送のラジオ番組が取材に来た。パーソナルティーをつとめる小田垣康次さん(80)があいさつし、レコーダーを回す。一言ずつ、会の講師が講評していく。メンバーの寺本一彦さん(71)はいつもなら積極的に発言するのに、緊張でうまく話せないでいた。1978年5月。寺本さんが店番をしていて、たまたま聞いたのが小田垣さんの番組の初回だった。「みなさん、こんにちは。『耳の新聞』の時間です。耳の新聞は、視力障害者のための番組です」耳をすました。当時、盲学校の教諭だった小田垣さんらが出演し、楽器やスポーツを楽しむ盲学校の生徒たちの様子を伝えていた。寺本さんは生まれつき左目が見えず、右目もほとんど見えなかった。大学まで進んだものの、友達ができなかった。両親にお膳立てされるまま、市内で食料品店を開いたが、両親がいなくなった後を思うと心配が絶えなかった。番組に出会ったのはそんなときだった。
ラジオで聞いた盲学校に行けば、仲間ができるかもしれない。不安を解消できるかもしれない。32歳で意を決して高等部の門をくずると、小田垣さんが迎え入れてくれた。小田垣さんは全盲だった。寺本さんはあんまを習い、休み時間にオセロを楽しんだ。記憶力抜群で勝負も強い小田垣さんと接すると、努力すれば何でもできると思えた。その後、結婚。店も客に恵まれた。ところが、53歳のとき、17年連れ添った妻千恵子さんを病気で亡くした。自分も右目の視力を失った。途方に暮れるなか、ふと思い出したのが、盲学校をやめた後に小田垣さんが口にした言葉だった。
「学校を去っても、ただ一人でいるのではなくて、人とのつながりは持ってほしい」盲学校の卒業生の会合に出かけてみた。短歌の会に誘われ、それから毎月、顔を出すようになった。千恵子さんのことも歌に詠んだ。歌集もつくった。短歌の会のことは取材を受けた翌月、「耳の新聞」で放送された。<指先は 眼となりて 触れて読む 明かりを消す部屋 掛け布団の上> 寺本さんの短歌が読み上げられた。電波に乗って届く自分の作品。自慢するほどの歌じゃねえ。ちょっと恥ずかしいや。そう思ったけど、やっぱりうれしかった。40年間、苦しいときはいつも隣に小田垣さんの声があった。日曜日の朝、ラジオの時間がまたやってくる。(板倉大地)

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