12月7日 サザエさんをさがして 炭坑節

朝日新聞2018年12月1日be3面:今もそびえる「父の遺構」 あんまり出前持ちが髙いので、さぞやサザエさんたちはたまげたたろ。といった風情の掲載作より少し前の1946~48年、石炭産業をもり立てる「炭坑へ送る夕」というNHKのラジオ番組があった。そこで毎日のように流れて全国に広まったのが、いまや定番の盆踊りソングとなった「炭坑節だ。福岡県民謡で、発祥地は田川市とされている。さて、九州に土地勘がある人なら「歌詞には大牟田市にあった三池炭鉱が出てくるのに」と不思議に思いませんか。田川市石炭・歴史博物館によると、やはり両市は昭和30年代まで本家論争を繰り広げたが、「一山二山三山越え」の歌詞が決め手となって「田川が本家、大牟田が分家」で決着したという。田川も三池も同じ三井鉱山が抱える二大炭鉱だった。田川の社員がお座敷で歌った俗謡が、大牟田の炭鉱に名を変えて流行したようだ。三井田川鉱業所の名物、日本煙突は45㍍。蒸気を作るボイラーの非煙用で、博物館学芸員の福本寛さん(43)の調べでは、08(明治41)年に1本目が、翌年に2本目が建てられたという。52年に立坑櫓が電化された際の逸話を、福本さんは古老から聞いた。煙突が不要になったと思い込んだ市民が三井鉱山に押しかけ、「煙突から煙が出なかったら炭坑節が踊れなくなる。どうするんや」と激しく抗議した。「煙は出る」と説明されると、胸をなで下ろして帰っていったそうな。
長谷川さんは炭坑節に何かを感じていたと思う。「三菱炭鉱の技師からどくりつしてワイヤロープの仕事をやっていました」。自伝『サザエさんうちあけ話』で、父の勇吉さんをそう振り返っている。町子さんは20(大正9)年、佐賀県東多久村(現・多久市)で生まれた。当時操業していたのは、東多久駅近くの三菱古賀山炭鉱だ。地元出身で元市職員の最所和泉さん(74)によると、17年にこの地で立て坑を掘る際、石炭を積んで巻き上げるワイヤロープの技師として勇吉さんが呼ばれたのでは、という。23年に古賀山炭鉱がいったん休山した後、勇吉さんは家族と福岡に戻ったようだ。機械製作所を経営したが、早世した。
勇吉さんが仕事を家庭に持ち込まない主義だったのか、町子さんは父の働きについて多くを語っていない。ただ、父が手掛けたとみられる高さ25㍍の立坑櫓は、炭鉱住宅の生まれであろう町子さんの原風景だったのではないか。古賀山の立坑櫓は珍しいコンクリート製で、ほぼ完成当時の姿を残す。役割を終えて半世紀経ったいまも、炭鉱跡にそびえ立つ。
炭鉱街では子どもの自分から炭坑節を踊る。多久は「三池炭鉱」のままだが、田川は「三井炭鉱」と元歌通りに歌う。三井と三菱という旧財閥の対抗心より、本家意識の方が強いらしい。10月下旬、多久市役所で取材をしていると、朗らかな「月が出た出た」が聞こえてきた。昼休み、月末の祭りに向けた若手職員の踊りの練習だった。「掘って掘って、また掘って。担いで担いで・・」。照れて動きがぎこちないですねえ。と口走ると、近くの職員が一言。「なーに、酒が入ったら大丈夫ですよ」春歌だったと言われる炭坑節は盆踊りの鎮魂歌ではなく、人生賛歌にふさわしい。(井上秀樹)

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