12月3日 大和とヤマトをたどって10

朝日新聞2018年11月27日夕刊2面:「国体」から自由だった鬼貫 戦艦大和の沖縄特攻は、昭和天皇の一言がきっかけだったとされる。1945年3月末、海軍の軍令部総長及川古志郎は沖縄での作戦について「航空機をもって特攻作戦を激しくやる」と奏上。天皇は「海軍にも艦はないのか。海上部隊はないのか」と質問し、その言葉に恐れおののいた海軍首脳部が急きょ、大和を主力とする「海上特攻作戦」を立案したという。
天皇の質問意図を忖度した末、部下に特攻を強いたことに弁解の余地はないが、当時の人々に対する天皇の影響力を実感させる。「一億総特攻」の根にも「天皇中心の『国体』という物語が崩壊するぐらいなら、日本民族自体が滅びる方がまし」という思いが、軍部を中心にあった。一方、天皇自身は、君臨すれど統治せずという明治憲法の精神を尊重し、直接の指示を避け続けた。海軍時代に「鬼貫」とあだ名された鈴木貫太郎は、この八方ふさがりを「聖断=天皇自身による戦争終結の指示」で打破し、敗戦と平和への道を開いた。鈴木はなぜ、聖断という禁じ手を実現させられたのか。
2015年の映画「日本のいちばん長い日」で鈴木を演じた俳優山崎努(81)はこう話す。「難しい役だったが、結局たどりついたのは『老人の力』といことだった。老人は死が近く権力や主義主張にこだわらない。鈴木もかつては血気盛んな軍人だったが、年を取って力が抜け、挑戦的でエネルギッシュな世界とは違う景色が見えていたのだろう」「さまざまな執着を捨てた末残ったのが、天皇や、陸軍大臣・阿南惟幾との人間関係。そして日本人への愛着だったのでは。『国体』からも自由だったと思う」山崎は映画「SPACE BATTLESHI ヤマト」では、ヤマト艦長沖田十三を演じた。「沖田も、老いて色々なものから自由になる一方で、今を生きる人々への愛は深まった」とみる。
鈴木や沖田の境地は「自らの属する集団や組織の信じる『物語』から離れ、相対化できる自由」とよべるだろう。一方で、日本海海戦の英雄だった東郷平八郎は晩年、軍縮問題に横やりを入れ、結果的に海軍を「内向きの物語」に閉じこもらせた。何が、彼ら軍人の老境を分けさせたのか。鈴木が晩年愛読した「老子」には軍人に厳しい一節があった。「武器は不吉な道具であり、君子が使う道具ではない。・・勝ってもそれを賛美はしない。もし賛美するならば、それは人殺しを楽しむことである(蜂屋邦夫訳)」一方、沖田は戦いで部下を死なせた悔恨を抱き続けた。自分の仕事や属する組織の限界・負の面を自覚し、自己否定の契機を持つこと。それが、内向きの物語から自由になるためには必要ではないか。海軍を全肯定する勝利の物語の主役に祭り上げられた東郷が、自分自身や組織を疑うのは難しかったはずだ。鈴木は48年、80歳で死んだ。最後の言葉は「とわ(永遠)の平和、とわの平和」だった。 =敬称略 (太田啓之)

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