12月19日てんでんこ 奥尻から【3】

朝日新聞2017年12月14日3面:魚港、防潮堤、ホール・・。防災インフラの先に維持費と借金返済が待っていた。 東北の首長、省庁、メディアが「津波被害からの復興先進地」を見にきた。「皆さんに同じことを言ったんだが、どこまで伝わっただろうね」。北海道奥尻町の町長、新村卓美(64)は東日本大震災後に殺到した視察を振り返る。岸壁の上、高さ6.2メートルに4650平方メートルの人工地盤がそびえる。2300人が避難できるといい、まるで2階建て魚港だ。
住民のいない地域も守る最高11メートルの防潮堤が延長14キロ、1階が空洞のピロティ式小学校校舎、6メートルかさ上げして海を悠々見渡せる住宅地、一部屋根付きの避難路が42カ所・・。島はさながら防災インフラの展示場である。感嘆する人たちに、新村が強調したのは将来の維持費や借金の返済の大変さだ。
復興事業は、被災額664億円を上回る総額764億円。インフラの多くは国や道の事業だが、町も一般会計4年分の事業を発注した。当時は国が100%資金を保証する東日本大震災のような復興交付金制度はなかった。「国や道から起債して積極的に事業をやろう、と促された」と当時の担当者は話す。
誤算は借金返済が本格化した2000年以降、ちょうど小泉純一郎政権の改革で地方交付税が減ったことだ。人口減や産業不振で町税収も落ち、町財政に黄信号がともった。支出を減らすしかなく、復興事業で造ったホールは閉鎖した。2千万円かけ山の中腹に取り付けた復興シンボルの大壁画「サムーン」も外した。1955年の建築で国内有数の古さという木造庁舎の建て替え基金も取り崩した。太陽光発電で光るのが特徴だった42カ所の避難路表示看板は補修費が払えず、小型点滅灯と蛍光シールに切り替えた。
復興当時、新村は町議だった。義援金の一部を基金にして残そうと提案したが、通らなかった。ハードを戻せという声が強すぎた。新村も被災者だ。激しい揺れの後、戸を壊して外へ出た。津波が来る。家業の運送業のトラックを避難させた。目の前で火のついた家が海へ流されていった。暗闇から「助けてえ」。女性の叫び声がした。知人宅から戻ろうとした妻は前の車に続き、津波で橋が落ちた川に突っ込むところだった。ゼロからの再出発でここまで来た。どこをどうすべきだったのか。大震災後、年千人を数えた視察は今、ほとんどない。(伊藤智章)

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