12月18日てんでんこ 奥尻から【2】

朝日新聞2017年12月18日3面:復興に予算約20年分がつぎこまれた。だが、にぎわいは取り戻せず、人口は減る。 「希望は、通った。でもこの有り様だ」1993年の北海道南西沖地震の後、奥尻町の被災者でつくる「奥尻の復興を考える会」元会長、明上雅孝(あけがみまさたか)(67)は、人通りのない青苗商店街を見ながら話した。被災直後、手っ取り早く青苗の約300戸の全戸高台移転案が出ていたが、被災者アンケートをもとに高台と海沿いのかさ上げ地併用を実現させたのは、団結の力だ。 かさ上げ地に造ったのが、青苗商店街だ。明上のガソリンスタンドも一角にある。仲間と道内視察にも行き、広い前面駐車場の店を並べた。町も人口流出対策になるとして、町内に商店を再建すれば最高4500万円、住宅は1250万円を援助した。土地が安く、無借金で再建した家もあるという。
島の悲劇は同情を集めた。被災直後の5年は、町の一般会計予算の20年分、764億円もの復興事業費が大盤振る舞いされた。同5年分の190億円の義援金も寄せられた。まだバブル残照の時代だった。でも5年過ぎ、10年過ぎ、漁港や防潮堤、商店街は整ったが、二大産業の観光業や水産業は以前のにぎわいを取り戻せなかった。いまでは地震前の2分の1を低迷する。
人口減も際立つ。近年は国税調査のたび、2けた台の減少になる。島を出たり、亡くなったりして2千人減の2700人だ。商店街の当初の14店のうち食料品店、スナック、電器店、書店など6店が閉じた。高台なども含めると、約30店中、3分の1がやめ、歩道の敷石の間から草が生えている。島の最近の話題は、復興住宅の買い取りだ。被災した父の雑貨店を手伝う森田吉紀(50)が始めた。維持費や固定資産税などを払うより売ろうという人から格安で買えた。6戸を貸し、自ら元電器店で民宿を営む。
ただ、借家需要は限界があるし、縮小社会のビジネスだ。個人商店にとって地震後、ホームセンターやコンビニが進出し、狭まるパイを奪われたのも痛かった。最近はネット通販も広がっている。町商工会長でもある明上は、東北の商店街の復興の行方が気になる。「ああいう時は、前より店も家も立派にしたくなるが、我慢した方がいいな」。では、どうすれば、良かったのか。その答えはない。(伊藤智章)

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