12月13日 東京五輪物語 開幕までの2年⑦

朝日新聞2018年12月8日夕刊8面:障害者の国際大会に初参加 渡英 スポーツも福祉も驚き 胸に日の丸がついた紺色のブレザーを着て羽田空港に降り立った。ロビーには「祝敢闘」の横断幕。15日間の長旅を終えた2人に花束が渡された。83歳になった吉田勝也さんは言う。「あの経験は思い出なんてもんじゃない。人生の礎なんだ」1962年7月、吉田さんは伊藤工さんと英国へ渡った。ロンドン郊外のストークマンデビル病院で52年から開かれていた障害者のスポーツ大会。その第11回大会に、はじめて2人が日本代表として参加した。
吉田さんは三重の水産会社で働いていた18歳の時、不慮の事故で下半身が不自由になった。療養先の大分・別府に「日本のパラリンピックの父」と呼ばれる中村裕医師(故人)がいた。日本では障害者とスポーツが分断されていた時代。英国でスポーツを採り入れた障害者医療を学んだ中村医師は、自ら尽力して2人の出場を実現させた。吉田さんは卓球と水泳に出場した。卓球は反射神経を養うために療養所で取り組んでいた。漁師の子で水泳も得意だった。
別府の温泉プールで一度泳いだだけで出場が決まったという。初めての国際大会は、戸惑いもあった。水泳の50㍍自由形では大きな体の海外選手と接触。日本で経験がなかった水深の深いプールにも驚かされた。初の海外でもあった。英国の床ずれへの意識を鮮明に覚えている。深夜の宿舎、背中を抱えられて目を覚ますと介護職員が寝返りを手伝ってくれていた。一晩で3回も。「ゆりかごから墓場まで、と聞いていたが、想像以上に福祉が行き届いていた」
帰国後は「何をやるにも自信がついた」と言う。64年の東京パラリンピックに、体調の悪化などで出られなかったことだけが心残り、あれから半世紀。再び、東京で祭典が開かれる。「できるなら参加したいね。まだ体は動く。ほら。」そう話すと、車いすでくるっち回って見せてくれた。(波戸健一)

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