12月13日 サザエさんをさがして 江の島

朝日新聞2018年12月8日be3面:時代は移り、五輪ふたたび さあ、見えてきました江の島が。サザンオールスターズもデビュー曲で歌った湘南のシンボル。歩いて渡る「江の島弁天橋」、自動車専用の「江の島大橋」で対岸と結ばれ、季節を問わず、多くの観光客でにぎわう。ワカメが福引で江の島旅行を当てた回が掲載された1955(昭和30)年当時の様子がわかる同年撮影の写真が、島の参道沿いの和菓子店「紀の国屋本店」に飾られている。大橋はまだなく、弁天橋は人であふれんばかりだ。橋の歩く部分はまだ板張りで「隙間から下をのぞくと魚が海で泳いでいるのが見えましたよ」と店主の湯浅裕一さん(68)。島の入り口付近に「二見館」「さぬきや」「今朝旅館」ろ、いまはない旅館の看板が見える。
「江の島詣」が盛んだった江戸期は、渡し舟か、干潮時にできる砂洲を歩いて渡った。明治期半ばに桟橋が出来たが台風でよく流されたという。橋脚がコンクリート製の弁天橋ができたのは地元の神奈川県片瀬町が合併で藤沢市の一部になった後の49年。橋全体のコンクリート化は58年だ。戦後復興とともに対岸の片瀬海岸には海水浴客が急増。小田急電鉄は夏に納涼電車を走らせ、54年には本格的な特急運行を始めた。
同じ年、「東洋一」とうたう江の島水族館(いまの新江の島水族館)が開館する。観光PRを担う「湘南江の島海の女王&海の王子」の前身、「海の女王」コンテストも55年に始まった。映画会社やテレビ局の後援で大々的に開催され、優勝者は全国紙系グラフ誌の表紙にも登場した。湘南の歴史に詳しい本宮一男・横浜市立大教授は「東洋のマイアミをうたい文句に藤沢市が観光振興に勢いづいた時期」と言う。作者の長谷川町子さんが取り上げたのも「この盛り上がりを耳にしたからでは」と、江の島を題材にした常設展示がある「藤澤浮世絵館」の細井守学芸員。
64年東京五輪のヨット競技開催地に決まり、島は姿を大きく変える。自動車専用の江の島大橋が完成。海を埋め立てたヨットハーバーができ「ヨットの聖地」に、一方で、日帰り客の増加や東京ディズニーランドのオープンなどで修学旅行の団体客をとられたことで10館近くあった大型旅館は徐々に姿を消し、いまは2館だけだ。気軽に寄れる行楽地としてよみがえったのは頂上部の展望灯台や庭園がリニューアルされた2000年から。20年の東京五輪では再びセーリング競技会場になる。この9月にはワールドカップの歓迎イベントがあり、64年の東京五輪で歌われた「江の島ヨット音頭」に合せて島のおかみさんたちが舞った。
地元観光業者らでつくる江の島振興連絡協議会の会長でもある紀の国屋本店の湯浅さんは10月、商工団体幹部らと神奈川県庁を訪れ、五輪施設の跡地活用に向けた準備を求める要望書を渡した。視線は「五輪後」にも向く。それはそうと、江の島にやって来たワカメは驚いたに違いない。江の島名物は姉と同じ名のサザエだし、ワカメもとれる。島のすぐそばに漁師がサザエをとる目印にした「さざえ島」という岩礁もあった(64年の五輪開催で埋め立てられ、いまは同名の人口島がある)。旅館前の客の呼び込みは激烈だったそうだ。ワカメも目を白黒させたろう。

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