12月12日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【23】

朝日新聞2017年12月7日3面:「一人ひとりに向き合い語りかけるようになったのは、現天皇から」 天皇、皇后両陛下の被災地など地方訪問の意味について原武史・放送大教授(55)は、天皇陛下の名にある「仁」の字に注目する。「仁」は儒教の重要な徳目で、思いやりなどを意味する。明治時代初期に宮内省で天皇に進講した儒学者、元田永孚(もとだながざね)が「君主が民に注ぐ愛情や徳」として「仁」を説いた。明治天皇が全国を訪問(巡幸)する際、文明開化や富国強兵の象徴である学校や産業、軍事施設だけでなく、仁の実践として病院や福祉施設を訪れ、民に愛情を注ぐよう期待した。
大日本帝国憲法で天皇が軍を統帥する「大元帥」になると、男性皇族は軍事指導者として国防、軍務を担った。病を患う人々や、戦争で傷ついた兵士らを慰めるのは、皇后をはじめ女性皇族の役割となった。戦争中には皇后をはじめ女性皇族らが担当地域を決め、手分けして病院を慰問している。
1945年の敗戦で天皇が大元帥でなくなると、天皇や男性皇族は女性皇族と同様、病院や福祉施設お訪れるようになる。昭和天皇が全国を巡回した「戦後巡幸」では、各地の療養所や戦災孤児施設などを慰問した。原さんは「天皇の皇后化」と呼ぶ。ただ、昭和天皇は、戦後に福祉施設を訪問するようになっても、国民を象徴的な「臣民」ととらえていたと原さんは指摘する。「一人ひとりに向き合い語りかけるようになったのは現天皇からだ」と。ただし「ひざをついて視線の高さを合わせてもなお、天皇と国民の間には厳然と落差がある」とも言う。
皇室取材では「声かけ禁止」という独特なルールがある。話しかけるのは両陛下や皇族の側からで、帰社から質問してはいけないという原則だ。被災地訪問でも、現地の市町村長や職員に「両陛下から質問があるまでは話しかけないでください」との注意があった、という話を何度か聞いた。原さんによると、儒教の「仁」の実践である「民本思想」を重んじた朝鮮王朝では、苦しむ臣民から直接の訴えを聞くことが君主の務めとして重視されていた。日本では、江戸時代に将軍への直訴が死罪とされ、明治以降も天皇への直訴が禁じられた。最近では山本太郎・参院議員(43)が2013年秋の園遊会で、福島の被災者の現状を訴えようと天皇陛下に手紙を差し出したことが批判された。(北野隆一)

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