12月11日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【22】

朝日新聞2017年12月6日3面:「皇太子さまは美智子さまを間近で見て、意識を変化させていったのでは」 「皇室と震災」シリーズをこの週で終えるにあたり、天皇、皇后両陛下が築き上げてきた被災地訪問のスタイルやその意義について、改めて考えてみたい。まず、両陛下が被災者の前でひざをついて語りかける姿について。象徴天皇制を研究する河西秀哉・神戸女学院准教授(40)や瀬畑源・長野県短大准教授(41)、森暢平・成城大教授(53)はテレビ番組や新聞記事を皇太子夫婦時代からさかのぼって調べた。
たとえば皇太子明仁さまが1959年10月、天皇の名代として伊勢湾台風の被災地を訪れた際は、座っている被災者に、自身は立ったままで話しかけている。一方、皇太妃美智子さまは、結婚後間もない62年に九州を訪れた際、宮崎や鹿児島の児童施設で子どもが横たわるベッドにかがみ込んだり、ひざをついたりして子どもたちに語りかけていた。
結婚後27年の86年11月になると、姿勢に変化がみられる。今連載第3部初回でも紹介した通り、伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、ご夫婦でひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。91年の雲仙普賢岳のときの姿勢とほぼ同様だ。「皇太子さまは最初は人々との接し方に距離感があったが、美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのではないか」と河西さんは推測する。
ひざをつく姿勢は、昭和天皇にはなかったものだ。原武史・放送大教授(55)は「昭和天皇は国民を抽象的な『臣民』ととらえていた。明仁天皇は自らひざをつき、国民一人ひとりと1対1で向き合った」と指摘する。皇后さまの姿勢の原点は、どこにあるのか。河西さんは「聖心女子大で学んだキリスト教主義的思考や、皇室がもともと持つ慈恵主義的な意識とともに、静養中からかかわるようになった精神科医の神谷美恵子の影響があるのでは」と指摘する。神谷医師は、国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)の精神科医長を務めた。美智子皇太妃が週懺などで体調を崩した際、田島道治・元宮内庁長官の勧めで60年代半ばから7年間ほど、お住いの東宮御所に相談相手として通った。
神谷医師からハンセン病の話を聞いたことがきっかけで、お二人は68年から国内各地のハンセン病療養所訪問を始め、2014年全国14園の訪問を達成している。
(北野隆一)

 

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