11月28日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【13】

朝日新聞2017年11月23日3面:奥尻島に言及した感想を知り「衝撃だった」。体験を語り切れていなかった。 「被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況をさらにつまびらかに知っていたならば、一刻も早く非難することにもっと力を注ぎ、より多くの人が助かっていたのではないか」 東日本大震災の年、天皇陛下は誕生日にあたって文章で寄せた感想で、1993年の北海道南西沖地震に言及した。「災害時にあける人々の悲しみを記憶から消すことなく、常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならない」と訴えた。
南西沖地震で高台に避難して生き延びた三浦浩さん(39)はほどなく、友人の母親が送ってくれた新聞記事で天皇陛下の感想を知った。「衝撃だった」。そして、自分は体験を語り切っていないと反省した。
被災したのは高校1年生の時。奥尻島の青苗地区で祖父母と3人暮らしだった。たんすの下敷きになった祖父母を助け出した。祖父を背負い、祖母の手を引いて灯台のある高台へつながる坂へ向かった。波しぶきをかぶりながら一瞬だけ振り返ると、家も車も電柱も人もすべて流されているのが見えた。
駆け上がった坂は、83年の日本海中部地震で5歳だった三浦さんが祖父母に手を引かれて上った坂だ。祖父母から地震や津波の話を繰り返し聞き、「地震があったら、1人でいたとしてもあの坂道に向かうんだよ」と言われていた。居間には常に懐中電灯が二つあり、南西沖地震ではその一つを使った。
地震の後、当初はそうした体験は忘れ去りたかった。近くの人たちを助けられなかった申し訳なさ、自分たちだけが助かった後ろめたさ。遺族がつらい記憶を思い出さないよう、体験は語ってはいけないと思った。だが時が経ち、消防署で勤務する傍ら、地元の小学生らに語り始めた。国際会議で体験を語り、「一度失った命は戻ってこないが、教訓を生かして命をつなぐことはできる。これは生き残った者の務めだ」と実感した。
その後、被災体験を伝える紙芝居をつくった。昨春には、語り部活動に専念するため、18年間務めた消防署を退職した。天皇陛下の言葉に背を押され、もっと「自分がやらなければ」と思った。
今年6月には絵本を出版した。いま全国各地で講演や紙芝居の披露、絵本の読み聞かせなどを続けている。「命を守る態勢作りのきっかけになって欲しい」(多田晃子)

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