11月23日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【10】

朝日新聞2017年11月18日3面:「両陛下は危険を覚悟で島に来る」。この一言で吹っ切れた。 マグニチュード7.8で、死者・行方不明者230人を出した1993年7月12日発生の北海道南西沖地震。震源に近い奥尻島では、最大29メートルに達した津波や火災などで198人の死者・行方不明者が出た。対岸の江差町内の檜山市庁(当時)で働いていた渡部和正さん(69)は、同町の公宅で震災に遭い、すぐさま庁舎へ駆けつけた。管内の自治体から被害状況の報告を受けたが、奥尻町だけはしばらく連絡がつかなかった。
翌午前3~4時ごろ、島の青苗地区で火災が起きていると知った。地震と津波、大火災。町長だった故・越森幸男さんは「奥尻は終わったと思った」と後日語ったという。発生から16日目の同月27日、天皇、皇后両陛下は奥尻島を訪れることになる。「安全面は大丈夫なのか」。奥尻町総務課長だった鴈原徹さん(74)は両陛下の訪問予定を知って驚いた。当時はまだ余震が続いていた。万が一、山が崩れでもしたら・・。しかし、下見に来た宮内庁関係者の一言で吹っ切れた。「そんなに心配しなくていい。両陛下は危険を覚悟でこの島に来るんだから」
島内は、町職員が運転する町長公用車で移動した。「今思えば、ガードレールもない所をよく両陛下をお乗せして走らせたなと思う」と渡部さんは振り返る。道庁は、10日ほどの準備で当日を迎えた。2年前の雲仙・普賢岳災害で両陛下を迎えた長崎県にも問い合わせた。道総務部長だった片木淳さん(70)のノートの訪問前日26日の欄には、「夜 資料ととのわず朝にして寝る。何回も目覚ます」との記載がある。
奥尻町は、両陛下が訪れる青苗地区に限り、被災者の仮設住宅への入居を「訪問後」に延期した。そのことで、一部の被災者から「天皇視察を優先した」との批判も出た。宮内庁は反応した。当時の新聞記事によると、宮尾盤次長(88)は「不自由な避難所での生活を延ばすのは不自然なことだ」と発言。同庁は、町長に「予定通り、自然のままでやってほしい」と伝えた。
だが町は延期方針を変えなかった。鴈原さんは「両陛下が避難所に出向かれるのに人がいないなんて、そんな失礼なことはできない。被災者の異動で道が混雑するのも避けたかった。当然の判断だった」。(多田晃子)

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