11月17日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【5】

朝日新聞2017年11月11日3面:「絶対に被災者の迷惑になることがないように」との両陛下の意向が伝えられた。 平成に入って初めての大規模災害は、長崎県の雲仙・普賢岳の噴火だった。1991年6月3日、大火砕流は43人の命をのみ込み、地元の暮らしも奪った。当時、島原市長だった鐘ケ江菅一さ(かねがえかんいち)さん(86)は、7月に入ったある日、県知事だった高田勇(91)から「もしかしたら天皇、皇后両陛下がお見舞いに来られるかも知れない」と知らされた。
「ええーつ」 災害が続いているさなかのお見舞いは聞いたことがなかった。「宮内庁はしばらくお待ちくださいと申し上げたが、お二人が強く望まれたようだ」とのことだった。お見舞いはそれから約1週間後の7月10日に決まった。地元の負担を考慮し、日帰りの日程が組まれた。午前7時40分羽田空港発の民間機で長崎空港に入り、そこから自衛隊ヘリで県立島原工業高校のグラウンドに降りる。その後、車とヘリで島原市、布津町(現南島原市)、深江町(同)の仮設住宅や避難所計7カ所を回り、午後8時11分に東京の御所に戻るーという過密なものだった。
前年の全国植樹祭で両陛下が島原半島を訪れた際は、事前に宮内庁、県警本部などから関係者がバス2台で下見に訪れ、繰り返しリハーサルを行った。今回は、両陛下を案内する場所について「事前にファクスで知らされただけだった」。宮内庁からは、「絶対に被災者の迷惑になることがないようにお願いします」との両 陛下の意向も伝えられた。
当時、訪問に携わった元宮内庁幹部(72)は、「噴火がいつ終息するかわからず、行けないだろうと思っていた。訪問されると聞き、噴石が降ってきたらどう対応するのか、という考えが頭をよぎった」と話す。採用されなかったが、「両陛下が乗る車の後部ガラスに噴石から守るための網をかけてはどうか」という意見も出た。 両陛下は県の公用車に乗り、随員はバスにまとまって乗った。通常、随員は複数の乗用車に分乗して長い車列を組むが、この時は、「県や地元警察などの災害対応に支障を与えないよう車列は短く」という配慮だった。出発前、侍従職から「お見舞いはノーネクタイで」と連絡があった。これも、災害対応中の地元の人々への拝領だった。(中田絢子)

 

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