11月16日 105歳私の証 あるがまま行く 日野原重明

朝日新聞2017年11月11日be9面:アメリカ見聞録、コーラの街へ【下】 1951年にアメリカに留学した時には最初、色々なところに泊りました。YMCAの安い二人部屋もあれば、ケンカばかりしている日系2世の夫婦の家もあい、ハリウッド見学もしました。鉄道はどこを通っても料金は同じだったので、まずロサンゼルスで友人に会ってから、シカゴ、デトロイトを回って、南下してテネシー州、アラバマ州のバーミングハムを経由し、10日間かかって、留学先のアトランタに到着しました。
途中、テネシー州の山奥のグレートスモーキーマウンテンでは、子どもたちがみんな裸足で、マットレスにないベッドに寝ているというありさまで、アメリカにも貧しい家があることを知りました。2日ほど地元の牧師さんの家にお世話になって、一緒に信者の家を訪問したりもしました。
アトランタでは当時、バスに乗る際、白人は前から黒人は後ろからでした。日本人は前から乗るように言われましたが、人種差別がひどいなと痛感しました。学生食堂よりも安い店に行ってはコーラ、ハンバーガー、フライドチキンを頼み、とにかく節約しました。デパートの地下ではちょっとしたお買い得品を売っていて、ワイシャツも半額以下で買えると留学生の先輩が教えてくれて、よく行ったものです。
医学部はダウンタウンにあって、私には車がないのでヒッチハイクをするために朝は道端で手を挙げるのですが、なかなか止まってくれなくて苦労したこともありました。節約しながらも最新の医療の現場に触れられたことは得がたい経験でした。日曜礼拝でスピーチを頼まれ、英語力に不安があったのですが、父親が「重明に」と英文原稿を手紙で送ってきてくれて、本当に助かりましたね。演説の最後は、グリークラブで鍛えた歌声を披露して締めくくりました。
ギリギリの生活の中で考えたのは、お金がなくても、心は豊かになれるということです。1年後には、日本に来た時と同じ汽船で帰りました。これで私の留学物語はおしまいです。そうだ、お土産の話があります。家内に、当時日本では珍しかったGEのトースターやアイロンを買って帰り、とても喜ばれました。皆さんに一言。家族へのお土産は大切です。
🔶3月上旬に編集者が口述筆記しました。

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