11月14日 寂聴 残された日々 

朝日新聞2017年11月9日35面:29生きてやろう 片岡球子さんの情熱の火種 先日求龍堂から本が届いた。『片岡球子の言葉 精進ひとすじ』という題で、表紙は球子さんの代表連作になった「面構」の、徳川家康の肖像であった。中身は球子さんの生前の魅力ある言葉を、対話やエッセーの中から集めたもので、中に私との長い対談「日本画ひとすじ」が入っている。
球子さんの絵のすばらしさを、出家する前に教えてもらったのは平林たい子さんからだった。ある時、平林さんはなにかの話のついでに「娘(養女)が絵を習いたいと言いだしたので、私は片岡球子さんにお願いして弟子にしていただきました。今、女の絵描きで、日本一は球子さんですよ」。
平林さんの言葉はいつでも一語一語が自信と信念にあふれている。私はそれ以来、球子さんの絵を気をつけて見るようになり、たちまち、その筆力のたくましさと、自信に満ちた個性と、美しい色彩に魅入られてしまい、貯金をはたいて球子さんの富士の絵を買いこんで、書斎にかけて日夜共に居るようにしている。富士山と麓の田園のさりげないのどかな風景だが、仕事に疲れきった目でその絵を仰ぐと、たちまち活力がもどってくる不思議な力を持っている。若い時から努力家で、眠くなると、軒のつららを折って背中に入れ、眠気を覚まし勉強をつづけたという球子さんの情熱が、絵の底にこもっているからだろう。
現実の球子さんと対談の機会に恵まれたのは、1981年で、球子さん76歳、私は59歳の時であった。球子さんはきちんと和服を着こなして、年齢にしては濃い化粧をし、口紅が鮮やかだった。男性のような激しい筆致の絵を描く人とは思えない老女の色気さえ滲んでいた。子供の時からの許婚との婚約を30歳で破棄してもらい、絵描きの道ひと筋に進んだ球子さんは、この日、昔別れたフィアンセのことを、ずっと想いつづけていると告白した。男性との事情は、その後一切ないという顔は爽やかだった。
淋しくないと言い切られたけど、そんなはずはないと私は信じている。あの情熱的でいつでも体の芯が燃えているような激しい絵を描かれる球子さんの胸の中には、絵に対する情熱の火を絶やしたことのない火種が、ずっとあたためられているのだろう。個性がありすぎ10回も展覧会に落選しても、絵を描くのをやめようとはしなかった情熱の火種を探したら、本のあるページに、「やっぱり、一生懸命という以外にないですね」
という1行があった。その1行が私のだらけた体をむちのように打ち据えた。体調がもう一つ戻らず、だらだらしている自分の体の芯に電気のようなものが走った。今夜死ぬか、明日死ぬかと、だらけている心身がきりっとしてきた。
球子さんは103歳の2008年1月16日に急性心不全で逝去している。おそらく泰然とした死に様だったことだろう。103歳までに、私はまだ8年もある。あと一つくらい長編が書けるかも。私はどんな面構の死相で死ぬのだろうか。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2木曜日に掲載します。

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