11月13日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【2】

朝日新聞2017年11月8日3面:象徴としてどう国民に向き合うか。昭和天皇にとって大きな課題だった。 昭和天皇と天皇陛下。象徴天皇として被災者に向き合ってきたお二人だが、そのスタイルは必ずしも同じだったわけではない。昭和天皇が伊豆大島を見舞ったのは、1987年6月22日。三原山の大噴火から7カ月がたち、島民の生活も少しずつ落ち着きを取り戻していた時期だ。「いつのなったら見舞いに行けるのか」。発生時からたびたに周囲にたずねる一方、自身が訪問することやその時期については「島民がどう思うだろうか」と気にかけていたという。
当時86歳。高齢を考慮して日帰りの日程が組まれ、往路には陸上自衛隊の貴賓用ヘリコプター「スーパーピューマ」が使われた。昭和天皇が減りに乗るのは初めてのことだ。昭和天皇が向かったは、三原山の山頂口にある「御神火茶屋」。火口の北西約1.5キロに位置し、山の様子が一望できる。茶屋の前ではかすりの着物に前垂れをつけたあんこ姿の女性らが日の丸の小旗を手に持ち受けた。その中に、茶屋の主人・高木勲さん(故人)とその家族がいた。
茶屋は、火口に飛び込もうとする自殺志願者を助けようと1928年に営業を始めた。山を見守る「御神火番」の役割も担っており、この大噴火でも高木さんの次男義久さん(63)が測候所などに速報した。昭和天皇は29年と60年にも付近に足を運んでおり、後に「御神火茶屋を懐かしく思う」と語ったという。茶屋は現在、勲さんの四男志郎さん(55)が受け継ぎ、御神火番を続けている。
昭和天皇は大島町役場に立ち寄り、植村秀正町長らを前に「みんなが身の危険をかえりみず災害に対処し、復興に努力していることは誠にご苦労に思います」と述べた。だが訪問中、島民一人一人に直接声をかける場面はなかった。と宮内庁総務課長として同行した齋藤正治さん(80)は言う。
前例のない象徴天皇として、国民とどう向き合うかは大きな課題だった。側近のなかには「タレントのような場面設定はいかがなものか」という慎重な考え方があった。だが、対話の場面はなくても、行く先々で島民が待ち受け、涙する姿がみられた。船で島を離れる際は多くの島民が日の丸の小旗で見送った。デッキに立った昭和天皇はパナマ帽が飛ばされそうになるのも構わず、島が遠ざかるまで手を振った。(島康彦)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る