11月12日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【1】

朝日新聞2017年11月7日3面:床にひざをつき、被災者と向き合うスタイル。皇太子時代に原点があった。 のちの象徴天皇の姿を予見させる、1枚の写真が残されている。1986年11月29日。皇太子ご夫婦時代の天皇、皇后両陛下が東京・神田の体育館を訪れた時のものだ。体育館には、三原山の大噴火で伊豆大島を離れた住民たちが避難していた。二手に分かれたお二人が、床にひざをつき、住民に向き合っている。
「お体を大切に」。両親と子ども3人と非難していた中村みさ江さん(63)はここで、そう声をかけれた。「こんなところまで足を運んでくださるとは。本当に大変だったので、ありがたかったのをよく覚えています」三原山の噴火は11月15日に始まった。鮮やかなオレンジ色の火柱が「御神火」(ごじんか)と地元であがめられ、多くの見物客が集まった。だが、21日夕刻に大噴火が発生。溶岩が町中心部に迫り、約1万人の全島民は海上保安庁の巡視船などで島外に脱出した。
町の企画調整係長として神田の体育館に詰めていた中山修さん(75)は、島民たちが慣れない避難生活に疲弊し、いつ島に帰れるのかと不安がる様子を目の当たりにした。そこへお二人が訪れると、島民たちからすすり泣く声があがった。「号泣する男性もいた。みんな自分たちが置かれた苦しい状況から救われた気持ちだったのでしょう」 ひざをつき、同じ目線で声をかけるー。今では多くの人が思いを浮かべる両陛下の被災地訪問のスタイルだが、当時の宮内庁幹部は「正直驚かされた。あれが原点だったのでは」と振り返る。陛下は当時52歳。昭和天皇は在位60年の節目の年を迎えたが、85歳と高齢で公務の負担軽減が課題とさえた時期だ。
幼少時からの同級生は「陛下は沿道の人が手を振って応えてくれるかと不安に思っていたこともあったようだ。ご自身のスタイルを模索していた時期ではないか」と話す。一方、昭和天皇との比較で、天皇陛下の存在感のなさを問うような厳しい意見も一部にあった。元側近からは、大噴火の数日後にお二人がテニスをしていたとして「真っ先に災害現場に駆けつけるべきだった」との批判もあがった。(島康彦)
🔶天皇陛下は「とりわけ遠隔の地や島々への旅を大切なものと感じてきた」と語る。第3部は遠隔地や離島などが舞台です。

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