10月9日 平成とは 首相、倒れる「2」

朝日新聞2018年10月3日夕刊6面:総裁選「出ないよな」 首相在任1年を過ぎた小渕恵三は1999年9月に自民党総裁選を迎える。総理番記者の前では平静を装っていたが、「次の首相」と言われた前幹事長・加藤紘一の出馬に怒り、疲れていた。小渕はその10カ月も前の98年11月、加藤出馬の意向を知り、加藤をホテルに呼んで「どういうことだ」と迫った。前政調会長として同席した山崎拓(81)の証言だ。翌月も小渕は2人を料亭に呼び、健康不安も口にして「出ないよな」とけん制した。首相になる前に党本部で倒れたことを知っていた山崎は黙る。加藤は「出た方が党の活性化になる」「どうせあなたが勝つ」と言い返した。
実際小渕は優位だったが、首相を務めつつ総裁選に臨む負担は重い。政権が揺らがぬよう支持固めに腐心し、全国遊説や討論会に追われる。98年末の小渕は、自民党の参院選惨敗で急に首相になり数カ月。当座の内政外交の懸案をしのぎ、政局の安定をと公明党との連立交渉へ自ら動き出した頃だ。
次女の優子(44)は当時、勤め帰りに両親が住む公邸によく寄った。小渕は背広姿のまま椅子の中でつぶれたように寝ていた。母の千鶴子(78)から「そのままにしておいて」と言われた。加藤は幹事長の森喜朗(81)に度々自重を求められても聞かず、山崎に「一緒に出馬を」と頼む。山崎、加藤、小泉純一郎(76)は自民党の世代交代を図る「YKK」と呼ばれていた。「加藤は、世論が政治を動かす時代だと言った。先に小泉が2度も総裁選に出たことで焦りが生じていた」と山崎。後に小泉だけが首相になる。
総裁選で小渕は圧勝し、党役員人事に臨む。加藤は自分の出馬に批判的だったで自派議員の起用におさまらず、官邸に電話した。同席者によると、小渕はこうはねつけた。「加藤君。俺に刃向かっておいて誰を入れろとか、そんなことを聞く義理があるのかっ」戦いで心身を削られたいら立ちをぶつけていた。(藤田直央)

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