10月9日 この道 小松正夫

東京新聞2018年10月4日夕刊1面:お別れ ついにその日が来ました。親父さん(植木等)は晩年、肺気腫にかかり酸素ボンベを引いて歩いていました。2007年3月の名古屋・中日劇場「舟木一夫特別公演」出演のため、私は親父さんに「1カ月ほど東京を離れます」とあいさつに行きました。親父さんは壁伝いに「はー、はー」と玄関まで出て来て、いつものように「上がれ・・、上がれ・・」と言います。とてもそんな状態ではないので断ると「そうか、名古屋へ行くのか。みんなによろしくな」。それが最後の言葉でした。当時の親父さんの付き人に名古屋から毎日電話して体調を確認しました千秋楽の3月26日を迎え、明日は親父さんに会いに行けると思うと少しホッとしました。ところが翌朝、付き人から電話がかかって「危ないです」と言うではありませんか。家を飛び出し、通りかかったタクシーを拾いましたが、病院までの道に迷いました。やっと探し当てて玄関が見えた時に携帯が鳴りました。「今逝かれました」。病室に駆け込んだのは数分後でした。親父さんの体は温かいんです。
奥さんが「あなたが来るのを待っていたみたいね」とおっしゃっいました。私は奥さんと一緒に親父さんお気に入りの着物を着せて、最後に親父さんのまゆにくしを入れました。生前、親父さんが「な、濃いんだよ、これが」と言いながらくしを入れて笑っていたのを思い出し、まねしました。私は親父さんと一緒に笑っているつもりでしたが泣いていました。
親父さんから聞いた言葉です。「おまえな、好きこそものの上手なれ、なんてないんだよ。プラス努力だぞ」。親父さんは大好きな音楽も舞台も、誰よりも努力していました。「70歳になったら、オレはなーんにも怖くない」。それまでは「おまえ、怒りたいことがあっても2.3日よく考えて、自分が間違っていないと分かったらその時初めて怒るんだよ」と言っていました。私がけんかっ早いことをご存じで、我慢の仕方を教えてくださったのです。でも私も76歳。これからは言いたいことを何でも言いますよ。え? もう言ってましたか。あはは・・。

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