10月7日てんでんこ 祈り「17」原点

朝日新聞2018年10月3日3面:「へなちょこで優柔不断で」。弱さをさらけ出せるのは、強さでもある。 2011年5月末、プロテスタントの牧師、柳谷雄介(49)は、東京都多摩市のカトリック教会のミサに参加した。司祭の晴佐久昌英(60)に「岩手県釜石市から来ました」と名乗り出た。晴佐久は一瞬驚いたが、卓上においていたはがきを指さした。柳谷が「私のために祈ってください」としたため、送ったものだ。「あなたのために祈っていましたよ」。晴佐久は返し、さらに「すぐ釜石にも行く予定にしていますよ」と言った。
6月末、晴佐久は街のあちこちにがれきが残る釜石を訪ね、壊れたままの新生釜石協会で20人ほどの信徒を前に説教に立つ。「会堂内は津波で浸水し、壁がはがれ、めちゃくちゃになりました。でも、そんなことはどうでもいいのです。教会というものは建物でもないし、お金でもありません。2人でも3人でも、信ずる仲間が集うのが、神のおつくりになった教会です」と言い切った。「壁のない教会」。これこそキリストが祈りを捧げた原点の場所ではないか。晴佐久と柳谷の思いが響き合った。柳谷は、今のままでいいんだ。と救われる思いがした。
柳谷は、指導者然とした牧師ではない。自らを「へなちょこで優柔不断で」と語る。しかし、自分の弱さを割けれ出せるというのは、その人の強さでもある。それを柳谷に教えた晴佐久もまた、恐れから自由であったわけではない。釜石では「すみません」という気持ちで避難所を回った。司祭の印であるローマンカラーの服をポロシャツに着替え、信者の仲間と一緒に避難所に入ったが、最初は「邪魔なんじゃないか」「受けいれてもらえないのではないか」と恐れた。「こんにちは」「肩をもみましょうか」かどと声をかけていく中で、「恐れの壁を越えて人と人がつながる瞬間が生まれました」という。「教会の壁が津波にぶち抜かれたというのは非常に象徴的です。恐れの壁が壊されたからこそ、私たちは出会えたのですから」と晴佐久は説いた。
だが、あまりにも多くの死やあまりにも大きな困難を前に、「神よ、なぜ」「神はいるのか」と問う人も多い。柳谷もまた、牧師への期待と重圧を前にして悩む。その後、半年間の休職を余儀なくされている。
(本田雅和)

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