10月7日 平成とは 自公連立の源流「9」完

朝日新聞2018年10月1日夕刊6面:協力の象徴「入閣1人」 カメラの前で握手。だが、まだ2人の表情は硬かった。1999年7月7日、首相で自民党総裁の小渕恵三と公明党代表の神崎武法(75)が国会内で会談した。連立政権を組むにあたり、小渕は公明党からも閣僚を出す「内閣協力」を要請。「半歩引いた閣外協力」を考えていた神崎は即答を避けた。自民党は公明党が望んだ「ワンクッション」で小沢一郎(76)率いる自由党と先に連立。それ故の3党調整の難しさが、衆院定数削減での隔たりに露呈していた。
自自公連立の際、小沢は比例区定数50削減を合意に押し込んでいた。議席を譲らず、自らに有利な「中選挙区制の導入」を掲げた。神崎には、自分を食事に誘うようになった小沢の危機感もわかった。公明党の連立参加で自由党が浮きかねない局面だった。結局、後の3党連立合意で衆院定数削減は玉虫色になり、自由党の離脱騒動へ発展する。3党連立は最初から不安を抱えていた。
公明党は内閣協力を7月下旬の臨時党大会で決定。神崎は「小渕さんの熱意を受け止めた」と振り返る。公明党と関係を深めた政権基盤を固めたいという小渕の思いが、数度の会食で自身の選挙の苦労話ににじんんでいたという。ただ、間合いは微妙だった。連立に伴う内閣改造の直前、神崎は「入閣はシンボルとして1人」と小渕に伝えた。公明は自民の議席が過半数を割らないよう補い、予算や法案に関与を強めるが、閣僚は1人。これは今も変わらない。支持母体の創価学会に配慮し衆院解散の時期に注文をつける姿勢も当時からだ。神崎は「連立を組む以上は成果を支持者に理解してもらうために一定期間が必要だ」と記者会見で発言していた。自公連立の源流はその後の選挙協力を通じ、広く、深く、平成の政治史を貫いていく。 =敬称略 (藤田直央)

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