10月21日 天声人語

朝日新聞2017年10月18日1面:明治の初め、「東京」の呼称やかな書きはバラバラだった。「とうきやう」「とうけい」。「とーきょー」がよいと説いたのは語言学者の上田万年(かずとし)だ。近代日本語の確立に尽くした人だが、戦後の評価は高くない▽「植民地に日本語を押しつけたとか、方言を衰退させたとか、功罪の罪ばかりを批判されました」と大東文化大准教授の山口謠司さん(54)は話す。師の師の師にあたる万年の歩みを丹念に調べ、『日本語を作った男 上田万年とその時代』を著した▽万年の学生時代、日本語の運命は揺れに揺れた。「漢字を全廃してローマ字式で」「かな50字のみで書く国に」。学者や政治家が真顔で論じた▽万年が情熱を注いだのは言文一致である。「書き言葉を話し言葉に近づけたい。しかも日本中で同じ書き方を」と考えた。新しいかな遣いは学校で採用される。ところが復古派が森鴎外を旗頭に立て、元に戻してしまう。
▽「重要な会議で鴎外に敗れたのが1908(明治41)年。万年は政府の役職を降ります。抗議の辞任でした」と山口さん。万年の夢に近いかな遣いの現代化が実現したのは、その死後46(昭和21)年である▽鴎外の文語体の作品はなるほど格調が高い。だが現代人には骨が折れる。他方、夏目漱石を始めとする言文一致の作品は格段に読みやすい。いま私たちの親しむ日本語の礎石となったのは万年の理想だったのかもしれない。生誕から150年、「日本語を作った男」という呼称は少しも大げさではない。

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