10月18日 105歳 私の証 あるがまま行く 日野原重明

朝日新聞2017年10月14日Be9面:アメリカ見聞録、コーラの街へ【上】 私はコーラが大好きで、コーラと聞くと、真っ先に留学中のことを思い出します。今日はアメリカへ留学した時のことを話しましょう。父の善輔は20歳の頃、兵役のために山口歩兵連隊で2年ほど過ごしました。除隊が近くなると、「私は間もなくアメリカに行く。向こうでは坊主頭では囚人と見られる。それじゃ困るから」と連隊長に頼んで、髪の毛を伸ばすことを許してもらったそうです。父は実に勇気があったと思いますね。父はアメリカに2度留学して、その後も何度も行っているので英語がとっても上手ですが、私の留学は1年だけでしたから英語も大変でした。それまで医学部ではもっぱら、ドイツ語ばかり勉強していましたから。
私は1951年、ジョージア州アトランタにあるエモリー大学に留学しましたが、アトランタは、コカ・コーラの本社で有名な街だったせいか、寄宿舎ではわずか5セントで学生がいつでもコーラを飲めました。今でも大好きで、フライドチキンと並んで郷愁を感じる味ですね。最初に飲んだ時の記憶は、ソーダ水のようだけどちょっと苦みがある、初体験の味でした。アメリカ人はいつでもどこでも飲んでいました。
男だけの寄宿舎でしたが、あるときアメリカ人の仲間が「日本人の入居者がトイレに入ると、足が見えないけど。どうなっているの?」と言うのです。「便器の上にしゃがんでいるんじゃないか」という話になって。向こうでは一人ずつ仕切られていても、ドアの下側が空いているでしょう。日本に比べると、プライバシーの配慮がないようでしたね。
カナダの汽船で渡米したのですが、三等客室で、嫌な臭いがしてきましたね。日曜に乗船客のための礼拝の時間があるというから、「ピアノを弾く人は決まっていますか?」と聞くと、「決まっていない」という返事だったので、「じゃあ僕が」とグランドピアノのある一等船室に行く権利を得ました。船底から出て甲板の上に立つと、海風が気持ちよかったですね。
入国する時、肺のレントゲン写真に影があるから、結核菌の培養をして様子を見ようということになり、これは京都大学在学中の、もう治っている結核の痕跡ですと談判して、ようやく何とか解放されたものでした。
◇3月上旬に編集者が口述筆記しました。

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