10月17日 寂聴 残された日々

朝日新聞2017年10月12日35面:28稲垣足穂の机 今年は稲垣足穂の没後40年にあたるそうだ。何かでそれを読んだ時、私はかつて書いた自作の『奇縁まんだら』をひっぱりだして、稲垣足穂のページを開いた。この本は私が生きている間に会って多かれ少なかれ縁を結んだ人々の思い出話を書き集めたのもで、全4冊の、重い本になった。一人一人の肖像を、横尾忠則さんが、いきいきとした筆で描いてくれたのが傑作で、文章の力より、さし絵の魅力で、人気がいや増してきたといってもいい。
稲穂さんは、足穂のすっ裸に赤い褌をした正面の立ち姿を描いている。足穂の顔は悲しさにたえられないような悲痛な表情をしていて、裸のこっけいさと、顔の悲痛さが、あまりにもちぐはぐなのが、何とも言えない不条理を感じさせる。足穂のおよそ非現実的な人間味の不思議さを、横尾さんのさし絵は申し分なく捉えていた。横尾さんもただ者ではない天才画家なので、足穂の奇妙さの中にひそむ天才を見抜く力があるのだろう。
私が51歳で出家する前の年、折目博子さんという京都の作家から、足穂を紹介しようと言われた。折目さんは京大の作田啓一教授の夫人で、こつこつ小説を書いていた。色が白くよく太っていて、髪をおかっぱにし、派手な和服を着ているかと思うと、突然女学生のセーラー服で現れたりする相当変わった女性だった。彼女が生まれた時、岡本かの子はまだ生きていたにもかかわらず、自分ではかの子の生まれ変わりだと信じていて、自分の才能を認めない文壇はどうかしていると憤慨している。
彼女の親の郷里が同じ徳島という縁で、いつの間にかしげしげ遊びに来るようになっていた。彼女は、川端康成からもらった手紙を表装にして額にいれ応接間にかかげている。彼女がある日、突然、自分は足穂の唯一の女弟子だとつぶやいたので、私はひっくりかえりそうになった。「先生は気むずかしくて人嫌いだけど、私はたった1人の女弟子として可愛がって下さるの。かの子の生まれ変わりというのも先生のご意見よ」。ますます驚きで声も出ない。私を、博子さは10日もしないうちに足穂の家につれていってくれた。伏見のお宅はどっしりした構えの明るい感じで、夫人の志代さんはひかえめで聡明そうなおだやかな方だった。昼前に訪れた無遠慮な中年女のあつまかしさにもめげず、私たちの下げていったお酒をたちまち燗して手料理と共に出してくれる。足穂の天才を見こんで、仕事もなくなって呑んだくれていた足穂を自分の家に引き取り、ずっと養っていられるという。
「お幸せですね」と思わず言うと、にこにこして「はい、この世でめぐり逢うために私たちは生まれてきたものですから」と微笑している。
たまたまその頃、足穂は『少年愛の美学』でかねて熱烈なファンだった三島由紀夫の後押しで、第1回日本文学大賞を受賞していた。夫人が賞金で立派な机を買ってくれたと言い、足穂は、それまで使っていた小学生の使うような小さな机を、私にその場でくれてしまった。夫人も「どうぞ、どうぞ」とすすめてくれるので、私はタクシーにつみこんでその机をもらってきてしまった。今、それは徳島の県立文学書道館に大切に保管されている。
足穂が没したのは、1977年10月25日、享年まだ76歳であった。天才として長く生きたというべきか。

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