10月16日 未来ノート 大谷翔平

朝日新聞2017年10月8日23面:教えすぎない父 「好き」でやる大きく育つ 大谷翔平が地域の硬式野球チームを見学にいった小学2年の秋、父の徹さんも、ある決意をした。「ちゃんと見てやろう、と。兄貴のときはできなかったので」。自分もコーチとして入れてもらった。徹さんは高校卒業後、三菱重工横浜に進み、25歳までプレー。選手引退後、数年して、ふるさとの岩手に戻った。転居と新しい仕事が忙しく、兄・龍太さんの野球を見てやれなかったことが、ずっと心にひっかかっていた。
保護者が指導する側になると一般的に熱くなりがちだ。しかし、徹さんの場合は違った。チームの練習は土日の午前9時から午後5時まで。それ以上は、練習開始前に1時間ほど早くグランドに行って、2人で打撃練習をしたくらいだ。「スポーツは本人が好きでやるもの。ガリガリやると嫌になっちゃうのかな、と。休む時間も、勉強する時間も必要ですし」と徹さん。大谷も大谷で、家ではテレビのプロ野球中継すら見なかった。「野球をするのは好きでしたけど、アニメのほうが見たかった」2人の練習では、基本を徹底した。下から緩くボールを投げて打たせる練習では、どこでもバットの芯でとらえるように、外角、内角を投げわけた。変化球に対応するため、時にタイミングもずらす。打撃フォームは右肩が開かないように気をつけた。そうなると、左打者の大谷は自然と左中間への打球が増える。23歳の今も左中間へ打つのは得意だ。
「僕は本当に、ラフにやっていた。早く土日が来ないかな。早く野球がしたいな、と。そういうふうにやってたのが、自分に合っていたと思います。小さいころからスパルタでやっていたらどうなっていたのか、興味はありますけど」 父との練習は、中学生になっても続いた。基本は押さえつつ、締めつけない。ゆとりの指導が、大谷を大きく育てた。(山下弘展)

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