10月15日てんでんこ 商店街「4」ぼうさい朝市

朝日新聞2018年10月11日3面:「全国から商品を送る。のろしを上げよう」。ネットワークが初めて機能した。 山形県酒田市の中通り商店街は2011年3月の東日本大震災で、宮城県南三陸町の二つの避難所に救援物資を送り続けた。物資は全国の商店街から届けられたものも多い。大阪からは食料やタオル、長野からは消毒剤や割り箸、食器など。折りたためるリヤカーもあった。義援金を送る商店街もある。藤村望洋(74)が2008年に作った「ぼうさい朝市ネットワーク」の仲間たちだ。11年4月3日、藤村は南三陸の避難所におた。津波で身一つになった地元の及川善祐(65)らはジリジリしていた。
「このままでいいのか。商人なら品物を集めてみんなに提供するべきでは」。でも売るべき物がない。藤村はけしかけた。「全国から商品もテントも送る。のろしを上げよう」震災からわずか50日後、第1回の「福興市」には、全国5ヵ所の商店街から仲間が駆けつけた。品物は7カ所から。テントやコンロ、プロパンガスも持ち寄った。藤村は20年ほど前、東京の早稲田商店会で空き缶回収を商店街活性化に役立たせるエコステーション事業を立ち上げた。視察が相次ぎ、南三陸や酒田の商店街もこの事業でつながった。一時は全国約100ヵ所に広がったエコステーションを、藤村は組織化した。ぼうさい朝市ネットワークの基礎になった。
平常時は「訓練」と称して商店街を回り、テントを張って「ぼうさい朝市」を開く。全国から救援物資に見立てた特産品を持ち寄り、炊き出しに見立てて料理も振る舞う。08年に酒田で初めてぼうさい朝市を開き、翌年に南三陸で9回目を開いた。商店街同士で顔の見える関係ができる。つながりで新たな物流が生まれれば。そんな期待もあった。実際に災害が起きたら、被災地の「隣」を拠点にする。最も近くて被害が少ない商店街のことだ。そこに全国から救援物資を集め、緊急輸送する。南三陸の場合は酒田だった。だが、浸透していたわけではない。酒田の中通り商店街で仏具販売店を営む佐藤幸美(57)は「なぜ防災につながるのか、ピンとこなかった」と打ち明ける。東日本大震災でその意味がわかった。今は「どこかで仲間が困っていないか、注意しよう」と思う。大震災で初めて機能した支援ネットワーク。その前に、藤村が動き出すきっかけがあった。04年の中越地震だった。 (佐々木達也)

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