10月15日 平成とは 新党という挑戦「1」

朝日新聞2018年10月10日夕刊10面:我々は自民を離党する 1993年8月。自民党が政権から転落、非自民連立の細川護熙政権が誕生した。戦後政治を形作った「55年体制」の崩壊である。引導を渡したのは新党だった。自民党を離党した議員らがつくった新党さきがけと新生党、熊本県知事だった細川護熙(80)が旗揚げした日本新党だ。
当時、私は政治部で自民党を担当。平成最初の「大政変」ともいえる政権交代劇を、31歳の若手記者として取材した。自民一強の爛熟期に、なぜそれにあらがうかのように新党が生まれ、政権交代を果たしたのか? 自民一強が復活したかに見える平成の終わりに、振り返ってみたい。
もう四半世紀も前なのに、93年6月18日夜のできごとは、今も記憶に鮮やかだ。その日、国会は朝から激動だった。約束した政治改革ができなかった宮沢喜一内閣に野党が不信任案を提出。自民の一部が賛成し、午後8時16分、可決。宮沢首相は衆院の解散を決める。不信任案の可決後、私は自民党衆院議員の園田博之(76)の部屋に向かった。その日の昼過ぎ、可決されたら来るように、と言われていたからだ。
園田は「我々は今から離党の会見をする」と言い、執行部に露見しないよう細心の注意を払って進めた半年間の”隠密行動”について説明した。園田を取材するようになって2年弱。まったく気付いていなかった。ショックだった。9時10分、武村正義(80)ら自民の衆院議員10人がホテルで記者会見。離党するのは武村、園田のほか、田中秀征(78)、鳩山由紀夫(71)、井出正一ら。いずれも当選2回、1回の若手だ。会見を取材し、政治部に報告した。10時過ぎに衆院解散。私は再び園田の部屋に行った。車で連れていかれた東京・愛宕山下のマンションには、驚くべき光景があった。 =敬称略 (吉田貴文)

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