10月10日 平成とは 首相、倒れる「3」

朝日新聞2018年10月4日夕刊8面:「ブッチホン」の真意は 甲子園の優勝校、台風で傷んだ奈良の古刹、手紙をくれた中学生ー。首相の小渕恵三が直接電話する「ブッチホン」は、まめな人柄の表れとして語られたが、不安と焦りもあったのではないか。当時の官邸で首相執務室のそばまで行けた総理番記者の頃、「もしもーし」と張った声がたまに壁越しに響いてきた。秘書官が小渕に「総理番に聞こえます」と告げると、邪魔するなとばかりに「地声だ」と怒ったという。固定電話が契約数でまで携帯を上回っていた1990年代の末、首相就任間もない小渕が卓上からかける様子を、官房副長官だった古川卓二郎(84)は覚えている。
ある経済人に相談しようと「小渕です」と告げても家族になかなか通じず、やっと取り次がれて「俺、総理かなあ」とにこりとした。かと思えば、政治評論家に新聞でたたかれると「今朝はいい記事をありがとう」と言って受話器を置き、「これでもう俺の悪口は書かん」と怒りをあわらにした。
公邸に戻ってもブッチホン。妻の千鶴子(78)との暮らしは広い洋間とキッチンだけを使い、洋間を本棚で仕切って寝室と書斎にしていた。小渕は書斎でほぼ毎晩、午後9時ごろまで電話をかけた。もし当時ネットが普及していても、小渕は頼らなかったのではないか。人と触れあうことへのこだわりもすさまじかったからだ。
98年9月、小渕が東京・浅草を車で移動中、信号で止まると隣の人力車に和装の新郎新婦がいた。窓を下げ「あめでとう」と言い、車が走り出すと隣の秘書官に「披露宴に祝電を贈れ」。どこの誰だかわからないのにと秘書官は弱ったが何とか祝電を打つ。丁寧な礼状に小渕は相好を崩した。次女で秘書も務めた衆議議員の優子(44)によると、小渕は「自分は会えば理解され、支持率も上がる」と言い、その日何人に会ったかを秘書に教えさせていた。公邸のホワイトボードには「目標1千万人」とあった。(藤田直央)

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