1月9日 平成とは 

朝日新聞2018年1月4日3面:この街で暮らし続けるために 「いまやここが第二のふるさとです」。多摩ニュータウンの団地が連なる東京都多摩市の愛宕地区で、友寄祐補輔(74)は語る。友寄は沖縄・伊江島の出身。1972年3月に都営愛宕団地へ入居し、初代自治会長を務めた。当時28歳。周りは育児世代ばかりだった。
そして45年。友寄は「こんなに早く高齢化が進むとは思わなかった」と語る。3世代が一緒に住めず、子ども世代は去った。「限界集落は東京にもあるんだと思った」。でも、人生をこの街で生きた。よそへ移る気はない。夫婦で近くの共同墓地を予約してある。
都は少子化で合併した小学校跡に新しく団地を造り、順繰りに住宅を立て直す方針だ。「あたご地区自治連合協議会」(2084世帯)の役員、松本俊雄(69)は「建物は新しくなっても、住民の交流をどう作るかが課題」と話す。12~13年前から、孤独死が目立ち始めた。団地でパトカーや救急車を目にすると、数日後「孤独死があった」とうわさで聞く。昨年1年間、松本が住む394世帯の団地で孤独死が6件あったという。
地区によっては平均年齢が60歳を超える。「でも、高齢化が高いのは元気で長生きということでもある」。松本らは2016年、「おむすびプロジェクト」を始めた。飯を炊き豚汁を用意し、独居の住人らが持ち寄った具でおむすびを握ってもらう。「好評なので続けたい。一緒に元気で暮らせる方策を見つけなければ」「持続可能」は平成に入って使われ始めた言葉だ。朝日新聞記事データベースで、この語が初めて登場するのは90年12月。それ以前の右肩上がりの時代に造れたベッドタウンも今、持続可能の危機にある。多摩ニュータウンで現地調査を続け、著書「つながりづくりの隘路」にまとめた早稲田大教授の石田光規は「単身高齢化時代を迎え、地域住民の相互支援は有志の『献身』から『必需品』の色合いを強めている」と語る。「例えば公営団地の不動産を住民との共同管理にして独自の利用ができるようにするなど、本質的な施策に踏み込む必要がある」
千年以上も存続してきたムラには、なにか秘密があるのではないかー。早稲田大教授の中谷礼仁(のりひと)らのグループは、地域社会の生存条件を解き明かす「千年村プロジェクト」に取り組む。災害や戦乱を越え、生産と生活が持続してきた集落にはどんな特徴があるのか。平安時代に編まてた漢和辞書「和名類聚抄」が記載する約4千の「郷」のうち場所が特定できる約2千の中から現地調査を続ける。中谷は「千年村の候補地を地図に落として地質図と重ねたら、度胆を抜かれた」と話す。河川が運んだ土砂の堆積と古い堅固な地層の境界に、候補地はずらりと並んでいた。
家並みの背景に山。前面に水田ー。それは典型的な日本の集落風景だった。自然条件を読む能力に優れた先人は、わずかな高低差を見抜いて安全なすみかを選び抜いた。その経験知は願みられなくなっていた。調査のきっかけは、東日本大震災。埋め立て地や元々河川だった道など、土地の特性を軽視した都市化が被害を大きくしたと痛感したという。グループは千年村のチェックポイントを公開し、公に認証することで地域づくりに生かそうとしている。
昨年11月25日、最初の千年村認証式が東京都内であり、「田井郷」こと津市大里陸合町の山田井集落と、「麻生郷」があった茨城県行方市の代表者が招かれた。山田井の辻武史(41)は、16年間働いた機械メーカーを退職し、故郷で農業を営んでいる。津市の中心から北へ約6キロ。JR紀勢線沿いで、水田農業が中心の44戸からなる集落だ。就農当初、近所の老人が何かと手伝ってくれた。礼を述べると返ってきた。「お前のじいさんに世話になった。うちの孫たちも今度助けてやってくれ」。その言葉が耳に残る。辻は「作物をブランド化しようとして、地元の『売り』が見つけられずに悩んだ」。「でも特別なものがないことは、実は大きな価値だった。『千年持続した土地』という大きな力を、いま見つけることが出来た」と喜ぶ。辻は昨年10月、自宅を開放し、プロの音楽家を招いて「千年ジャズライブ」を開いた。近隣から老若60人以上が集まった。これが縁で、東京・渋谷で今月15日、ジャズと山田井産コメ料理とのコラボ企画が開かれる。「『千年村』の言葉が結ぶ縁を、今後も広げたい」
欧米 都市を縮小再生 欧米では、街を小さく造り直した例がある。「縮小都市」を研究する龍谷大教授の矢作弘は、20世紀後半まで自動車メーカー、フィアットの城下町だったイタリア北部の都市トリノを挙げた。競争の激化と不景気で工場は閉鎖。1970年代半ばに120万人だった人口は95万人になった。だが90年代以降、工場跡を公共空間や起業セミナーに造り替えて鉄道も地下に潜らせ、歴史景観の再生に取り組む。伝統的な食文化を再評価する「スローフード運動」も追い風となり、起業や観光中心の街になった。
また、ドイツ中央部にあるライネフェデ・ボルビス市は「減築」で知られる。東独時代に造られた箱型アパート群は、ドイツ統一で住民が流出。当局は建物を一部取り壊し、部屋を間引いたり複数戸を合体させたりして近代的デザインに造り替えた。80年代に1万4千人いた団地は06年には5700人に減り、縮小都市のモデルとなった。「だが同じ時期、日本の施策は反対に向かった」と矢作は指摘する。2000年代初頭まで、日本は米ブッシュ(父)政権との構造協議で、大型店舗の規制緩和を進めていた。昔ながらの商店街は衰退が進んだ。
矢作は「米国は連邦政府が日本に規制緩和を求める一方、多くの自治体は大型店の出店規制を強めていた。日本は米国の『二枚舌』に乗せられた」と語る。「地方再生には、自治体や地域社会が広範囲で役割分担できる間柄になる必要がある。競争主義が招いた規制緩和のつけを取り戻す営みは、今後20年間が勝負だろう」=敬称略(永井靖二)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る