1月8日 野球の国から 松井秀喜「3」

日刊スポーツ2019年1月4日6面:最後でいい印象の残り方に 熱狂するファンが「MATSUI」の名前を叫んでいた。2009年(平21)フィリーズとのワールドシリーズ(WS)で、松井はヤンキース世界一の立役者となった。6試合で13打数8安打の打率6割1分5厘、3本塁打、8打点。文句なしのMVPに選出された。ニューヨーカーが今もなお「レジェンド」として愛するゆえんだ。
「たまたますごく調子が良かったんです。プレーオフに入ってからずっと調子が良かったし、それが、そのままいっちゃったという感じでした。あの年は8月くらいからずっと良かった。理由は・・今でも分かんないです。たまたま投手の相性が良かったんですかね」03年にヤ軍入りして以来、松井は不動の主軸として活躍してきた。当時のヤ軍といえば、主将ジーターにポサダ、リベラ、ペティットが「コア4(核の4人)」と呼ばれた時代。WSでの活躍は、あらためて松井の存在感の大きさを印象付けた。
「結果的にはあれ(MVP)があるとないのとでは、周りからの見られ方とか全然違ったかもしれないとは思いますね。もちろん、ヤンキースで長くプレーした選手として見られるかもしれないですけど、また違ったんだろうとは思いますね。ヤンキースファンはワールドチャンピオンになること、それだけを見たい。だから最後で、いい印象の残り方になったのかもしれないですね」
それでも、ヤ軍は松井と再契約せず、フリーエージェントとなった。WSのヒーローに対してもシビアな現実が待ち受けていた。「契約が切れることは分かってましたが、終わってから考えればいいと思ってました。もちろん、残れればいいという気持ちは思ってましたけど。ヤンキースがそういう判断だったら『出るしかない』と思ってました。ヤンキースが好きとか、いたいとか関係なく、また違う道を探さなくてはいけないと」 メジャー屈指の組織力、資金力を持つヤ軍での7年間は貴重な財産となった。
「ひとつの部署にしても人数が違うし、メディアの数も違う。他のチームはファミリー的な雰囲気で、ヤンキースは全然違うというか、球団に流れている雰囲気、文化というか、チームに所属して初めて分かることを、肌で感じられたのは良かったと思います」歴史と伝統がしみ込んだピンストライプのユニホームを脱ぎ、ニューヨークに別れを告げた。松井は、アメリカ大陸の反対側、西海岸へ向かった。(敬称略=つづく) (四竈衛)

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