1月8日 老いてもなお仕事する理由

朝日新聞2019年1月4日1面:人手不足の時代 高齢者も働く 車が返却されると、レンタカー営業所の動きが慌しくなった。書類を確認し、傷を点検し、車をバックで動かすと、狭いスペースにぴたりと決めた。運転席から降りてきたのは白髪の男性だった。派遣社員の池田正英さん。76歳。車の内部を手際良く拭き、外は水で洗う。感覚がにぶるからと、手袋はつけない。大きな声で客を見送る。「お気をつけて行ってらっしゃいませ!」 10年ほど前に同い年の妻に先立たれ、一人暮らしをしている。池田さんにとって、仕事は心の支えだ。埼玉県蕨市の自宅から千葉県市川市の営業所まで、3本の電車を乗り継いで片道1時間半。早朝からの就業時間に間に合うように午前3時半に起きる。それを週4日。楽ではない。それでも「働けることが幸せなんです」と言い切る。
地元の高校を卒業後、車の修理店で働いたり、タクシーの運転手をしたりした。その後、企業向けのハイヤー運転手になり、定年を延ばして70歳まで続けた。退職が近づいた時、「仕事のない生活」に想像がつかなかった。「じっとしているのは体にも良くない」と考えていた時、取引先から紹介されたのが、高齢者の派遣を専門に扱う「高齢社」(東京都)だった。
勤務地や職種など高齢者の希望に合わせて、企業に派遣する。時給は1千円ほどのことが多く、80代までの1千人以上が登録している。人手不足を反映し、最近は、現役世代が避けたがる早朝や土日の仕事が多い。それでも、同社の緒形憲社長(69)によれば「働かなければならない」というより「働きたい」という人が多いという。
池田さんには都内に住む長女(47)がいるが、頼ろうとは思わない。長女も「無理せず働けるうちは働いてほしい。友人のいる所に住むほうが、本人も楽しく生活ができるのでは」と見守る。休日の夜、家の向かいのカラオケスナックで常連の友人たちと歌うのが、池田さんの楽しみだ。十八番は、北島三郎と鳥羽一郎のデュエット「演歌兄弟」。人と言う字は 肩寄せ合って もちつもたれつああ生きている
働くお年寄りが増えている。2017年の高齢者の就業者数は807万人と過去最多を更新し、その約4割は70歳以上が占める。政府も「人生100年時代」を旗印に、高齢者の就労を後押しする。膨れあがる社会保障費の抑制や労働力不足を補うため、お年寄りであっても、元気なうちはできるだけ社会を「支える側」に回ってもらおうというねらい。しかし、前向きに働きたい人や思うように働ける人ばかりではない。生活にゆとりがなく、「明日」への不安と背中合わせで生きている人たちも多い。東京都内の寺院。元日の初詣客でにぎわう人混みのなかに、露店でリンゴあめを売る女性(74)がいた。彼女には、80歳まで働き続けなければならない理由がある。
(新屋絵里、水戸部六美)
1面から続く2面:「長い老後」を生きるためには働かざるを得ない。だが働きたくても働けない。急速に進む高齢社会の波が足元に打ち寄せた時、自分はそんな境遇に転じないと言い切れるだろうか。「1個400円です。お好きなのをどうぞ」東京都内の寺院で初詣客にリンゴあめを売る女性(74)は、寒空の下、立ちっぱなしだった。セーターを5枚重ね、ズボンの下にはタイツと毛糸のもも引き。その格好で午前9時から午後8時まで続けた。年末年始はかき入れ時で手取りは増えるが、ふだんは1万円程度にしかならない。「準備の手間も含めれば、自給に換算しちゃうとばかばかしいけど、日銭がほしいの」
40年ほど前に、病気で夫を亡くした。子どもを育てながら病院の事務などで働き、65歳で定年退職。夫が残してくれた自宅の建て替えに退職金をつぎ込んだものの、なお残額は300万円を超え、80歳までローン返済が続く。しかも家庭の事情でその自宅にも住めなくなり、木造アパートに暮らしている。アパートの家賃とローンを合わせた額は9万円近く。月約16万円の年金だけでは不安で、退職後に露天商を始めた。生活費を浮かすために、食事は露店であまったたこ焼きや今川焼きをもらって冷凍し、近くの老人福祉センターの無料浴場に行く。「80歳までは健康でがんばりたいの」
都内の女性(71)は2年前、70歳になるのを理由に退職するよう告げられた。40年以上寄席ばやしで三味線を弾いてきた。数年前に定年制ができたことは知っていたが、80歳を過ぎても働き続けた師匠らを間近に見てきただけに「まさか」の通告だった。「生涯現役で働けると思っていたのに」退職金は数十万円足らず。「消えた年金記録問題」にも巻き込まれ、納めたはずの保険料の記録がなく、年金収入は月2万6千円ほどしかない。稼がなければ生きていけない。しかし三味線を弾くこと以外、ほぼ経験がない。長年正座で演奏してきたため、ひざも悪く、清掃などの肉体労働も難しい。「働きたい。どうにか体を治さないと」。痛むひざをさすりながら、女性は言った。働けなくなった人や「働かざるを得ない」という高齢者からの相談が増えているーと、生活困窮者の支援を続けるNPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典さん(36)はいう。体を壊したり、年金が足りず現役時代の貯蓄も底をついたりすることが理由だ。
高齢者を後押ししようと政府は、希望すれば70歳まで就労できるようにするための法制化や、年金の受け取りを70歳より遅らせることを選べるようにし、その分、毎月の年金額を増やす仕組みを検討している。それは、元気で働く意欲のある人のための対策だ。しかし藤田さんはこう指摘する。「定年を過ぎても『生活のため』に無理をして働いている人は多いのではないか」
負担した分 戻ってくるなら 急速な人手不足が進む日本では、社会にあいた「隙間」を高齢者が埋めている。お年寄りが活躍できる社会を目指すべきだが、誰もが健康で働き続けられるわけでもない。日本社会事業大学の神野直彦学長(財政学)は「みんなで負担を分かち合い、社会全体で老後を支える安全網を強化すべきだ」と訴える。政府は昨年5月、2040年度には社会保障給付費が約190兆円まで膨らむとの推計を公表した。18年度の約1.6倍になる。これは公的な「支出」に当たる。それを賄うのに、税金や社会保険料からの「収入」だけでは間に合わない。すでに国の借金は大きく膨らみ、将来世代にツケを回している。
国民所得に対し、税金と社会保障の負担割合を示す「国民負担率」でみると、日本は42.5%(18年度見通し)。世界でも経験したことのない超高齢社会を迎えることにもかかわらず、英国やドイツ、スウェーデンといった欧州諸国に比べると負担は低い。向き合うべきは、将来増える給付を誰の負担で支えるのかだ。核家族化、終身雇用の崩壊、単身高齢者の急増ー。困った時に家族や企業、地域が助けてくれるといったこれまでの安全網は崩れつつある。神野氏は「大事なのは高齢者と子どもの世代を社会がちゃんと扶養すること。それぞれの負担が増えたとしても、その分のサービスが目に見える形で戻ってくる社会を目指すべきだ」と話す。(大津智義、水戸部六美)

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