1月27日 平成とは 金融危機「1」

朝日新聞2019年1月21日夕刊10面:W杯初決定に沸く朝に 1997年11月17日の朝は祝福ムードとともに明けた。マレーシア・ジョホールバルで前夜にあったサッカーW杯の最終予選で、日本代表が延長の末に劇的勝利をおさめ、初の本戦出場を決めた。この日は休刊日で朝刊が発行されず、夕刊が初報。ところがその夕刊の1面トップを飾ったのは勝利の余韻とは対極のニュース「拓銀、都銀初の破たん」だった。北海道拓殖銀行は不動産関連企業などへのバブル期の融資が焦げ付き、巨額の不良債権を抱え、資金繰りが行き詰まった。
その7日後、こんどは4大証券のひとつ山一証券が自主廃業に。さらに2日後に仙台の徳陽シティ銀行が倒れ、全国のほとんどの銀行で預金の取り付けが起きた。安田信託銀行の札幌支店では約2千人が順番を待った。ただ、どの報道機関も取り付けの連鎖を恐れてこうした騒ぎを報じなかった。この破綻ドミノの始まりは、4大証券に続く準大手と呼ばれた三洋証券の倒産だった。その発表があった日、私は数日前に取材した市場関係者のこんな言葉を思い出していた。「三洋がつぶれたら(金融機関が資金をやりとりする)コール市場で初のデフォルト(債務不履行)が起きる。大変なことになるぞ」と。 ◇ 30年を超す私の記者人生の大半は、日本経済がバブルの頂点から転げ落ちた平成という時代と重なる。最たるものが金融危機だ。当時、私は日本銀行記者クラブ詰め。銀行の頭取や日銀幹部の取材に明け暮れていた。1日3時間ほどの睡眠は「夜討ち、朝駆け」取材のハイヤーになかでとった。最初は甘くみていた。あの銀行もなんとか持ちこたえるだろう、当局がきっちり対応するだろう、危機はほどなく去るだろうー。だが破綻の連鎖は止まらない。日本はこのまま恐慌に陥ってしまうのか。そんなことを考えたのは後にも先にもあのときだけだ。(編集委員・原真人)

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