1月27日 市原悦子さんを悼む

朝日新聞2019年1月21日37面:「家政婦は見た!」プロデューサー 塙淳一さん 1983年のドラマ「家政婦は見た!」が好評だったため、シリーズ化に向けて打ち合わせをした際、市原悦子さんは自ら参加した。そこで彼女は「人に嫌われるキャラクターだから、やわらげたい」と言った。家庭の秘密をのぞき見する嫌らしさをどう軽減するか。市原さんが出したのが、家政婦が劇中で都はるみの歌をうたうというアイディアだった。こうした人物設定には表情にこだわる人だった。現場で「のぞきすぎじゃないか」「役に嫌らしさが出ちゃった」などと言う。相当な熱意を感じ、現場に入るとき僕はいつも、かなり緊張していた。
あんなに議論する俳優は珍しい。撮った映像を見て自分の芝居に納得がいかず、「撮り直してくれないか」と言ってきたこともあった。あのしつこさは特に記憶に残っている。「家政婦ー」が25年も続くとは思わなかった。一見どこにでもいそうな「普通のおばさん」が主役だからこそ、視聴者は親近感を持ったのだろう。それでいて、市原さんの演技はやりすぎず自然体で、品があった。
あれだけ人気が出たら、普通の俳優は「代表作ができた」と喜ぶはず。でも市原さんは違った。政策には「年に1本にして下さい」と言う。他にもいろいろな役を演じたいので、家政婦役のイメージが強くなりすぎるのを避けたかったようだ。こちらは年に2本は放送したいのに、なかなか「うん」とは言ってくれなかった。ドラマを象徴する「のぞき見」のシーンは、市原さんの独断場だった。そっと見る目つきの素晴らしさ。ある著名な俳優が「私もやりたい」と言ったと聞いたが、「何をのぞいているのだろう」と視聴者に想像させるあの芝居は、他の人にはできないだろう。2008年の26作目でシリーズが終わったのは、「もうくたびれた。これでやめましょう」という市原さんの申し出がきっかけだった。家政婦は劇中でよく動かなければならないし、家政婦の目を通して家庭内の人間模様を描く作品なので、他のドラマよりも主演の出番が多くて、撮影中の負担が大きい。終盤は体が言うことをきかなくなっていたようだった。47歳だった市原さんは72歳になっていた。長い間ご苦労様でした。天国に行って、今もどこかをのぞいているかもしれませんよ。
(聞き手・湊彬子)

 

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