1月26日 阪神大震災23年

朝日新聞2018年1月17日1面:「今も毎日が1995年1月17日なんです」命の意味を問い続ける 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から17日で23年を迎える。被災地では発生時刻の午前5時46分を中心に追悼行事が行われ、街は祈りに包まれる。この日は神戸市中央区の東遊園地で犠牲者を悼む「1・17のつどい」が開かれ、「1995伝1・17」と並べられた竹灯籠に火がともされ、黙祷する。
兵庫県宝塚市の武庫川では16日、中州に石を積んで制作された「生」の字のオブジェ(縦20メートル、横10メートル、高さ約80センチ)がライトアップされた。市内に住む現代美術家の大野良平さん(58)が2005年1月に「街と人の心の再生」を願って制作。増水で流失すると、市民らが石を積み直してきた。大野さんは「震災を知らない若者が増える中、命の大切さを考えるきっかけになれば」と話した。
迫る炎 妻よ「堪忍な」 「火だ!」。周囲を見回すと一面に炎が立ち上がっていた。まるで火が壁になっているようだった。足元から聞こえる妻のか細い声。「ああ!っ」。全身の力が抜けるほど泣き叫んだが、火は自宅をのみ込んだ。神戸市長田区の山本欽照さん(85)は、妻の和子さん(当時53)を失ったあの日から時が止まったままのように感じている。「23年が長いと感じたこともない。今も毎日が1995年1月17日なんです」結婚して約30年が過ぎていた。息子と娘は独立し、裁判所に勤務しながら夫婦で暮らしていた。
2階に寝室があったが、震災が襲った日はたまたま欽照さんが1階でビデオを見ており、和子さんは近くのこたつで寝ていた。欽照さんが散歩に出ようと玄関に立った瞬間、激しい揺れで2階が崩落した。「私は大丈夫。明るくなったら助けてくれますか」。下敷きになった和子さんの声が聞こえてきた。
欽照さんは崩れた家から外に出て、近所の人に助けを求めた。だが、手元にあったは近所の人が持参した折りたたみ式のノコギリさけ。なかなか助け出せない。地震から数時間後、叫び声で火災に気づいた。火の手が迫ってきた。その場から離れるしかなかった。4日後、息子と2人で焼け跡から遺骨を拾った。
周囲から受けた「がんばれ」という励ましの言葉さえ、つらく感じた。「がんばれるものが残っていない人には残酷な言葉です」今も、和子さんに伝えたい。「ごめんなさい、ごめんね。堪忍な、すまん」。何のため、だれのために生きるのか。自分に問いかけるが、答えは出ないままだ。
(島脇健史、鈴木裕、岩田恵美)

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