1月26日 時代を読む 宇野重規

東京新聞2019年1月20日5面:民主主義の最後の砦 沖縄県で2月24日に実施される住民投票について、奇妙な事態が起きている。この投票は米海兵隊普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐってなされる。ところが、普天間飛行場がある宜野湾市をはじめ、いくつかの自治体が投票を実施しない決定を行い、結果として3割を超える沖縄県民が投票に参加できないとうのである。沖縄市に住民票を置く玉城デニー知事自身、投票できないという。反発する市民からは「投票権を侵害した」として、宜野湾市を提訴する動きも生じている。県が決めた住民投票について、その実施事務を担う自治体が不参加を決め、県民投票であるにもかかわらず、投票権を持つ県民が7割を切るというのは、いかにも異常な事態である。なぜ、このような事態が生じてしまったのか。
この住民投票は、市民グループによる署名活動から始まっている。必要数を大幅に上回る署名が集まった結果、直接請求がなされ、沖縄県議会で条例が制定され、住民投票の実施が決まった。問題はその先である。投開票事務の一部は市町村が担うが、住民投票のための補正予算案がいくつかの自治体の議会で否決され、当該の自治体の長が住民投票への不参加を決めたのである。
このような事態はきわめて異例であるが、現行の法制度的には想定可能である。県が反対する市町村に執行を強制することは事実上、難しい。しかし、問題はこのことの政治的意味であろう。特に民主主義という視点において、このような事態はどのように理解されるべきか。この住民投票を指示する側からすれば、今回の事態は、すでに触れたように「投票権の侵害」に当たる。民主主義の貴重な機会を奪われたことに対しては、憲法違反を訴える声も少なくない。ある意味で、住民の権利が、その住民を代表する自治体の議会や首長によって否定されたことは、きわめて皮肉な事態にほかならないであろう。
逆に、住民投票への反対派からは、国政レベルの問題であり、自治体の判断すべき対象としてはふさわしくないという意味である。また、賛成論の裏返しとなるが、住民を大表する議会や首長が反対した以上、住民票への不参加を決めることは可能だという議論もありえる。しかしながら、現代の民主主義において、きわめて重要なのは、異議申し立ての機会を十分に確保することであるのではないか。今日、政治上で争点になることの多くは、負担やリスクをどのように社会的に配分していくかに関わる。基地問題はまさしく日本全体の問題であるが、その負担をどの地域に担わせるかについての決定の正当性は、どれだけ異議申し立ての機会があり、あおの意見が十分に考慮されたかにかかっている。現在、民主主義について、さまざまな議論がある。住民投票と議会による決定の関係も難しい問題である。が、少数派の異議申し立ての機会と、その納得を得るための丁寧な説得の過程こそが民主主義の最後の砦であることだけは間違いない。その一線が脅かされるとき、民主主義の形骸化がとめどなく進であろう。今回、異議申し立ての声を示す機会すらも奪われかねない事態に、深刻な脅威を感じざるをえない。(東大教授)

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