1月23日てんでんこ 奥尻から【16】

朝日新聞2018年1月16日3面:「こんなに人が死んで、日本海中部地震の研究は何も役立たなかった」 「東海地震が起きたらこんな光景が広がるのか」。静岡大防災総合センター長の岩田孝仁(63)は1993年7月の北海道南西沖地震発生から3日後、調査のため奥尻島に入った。当時は静岡県の防災担当職員だった。
対岸の北海道瀬棚町(現せたな町)では、2階だけが残った建物をいくつか見た。「上の階に逃げたら助かる可能性があるかもしれない」。津波避難ビルのヒントになった。静岡県には県民向けの防災パンフレット「津波」があった。岩田は「避難8カ条」を新たに加えて改訂した。「車による避難の原則禁止」「浸水を始めたら建物の高い所に上がる」。奥尻の教訓を並べた。
同じころ、東京大社会情報研究所の広井脩(故人)も島に入った。東京に戻り、いまは日本大教授の中森弘道(53)らと今後の調査方法を詰めた。東京・本郷の居酒屋で中森の隣にいた広井がはき出すように言った。「こんなに人が死んで、日本海の研究は何の役にも立たなかった」 83年5月、日本海中部地震が起き、津波などで104人が犠牲になった。津波警報が出たのは地震発生から14分後、津波は7分で到達していた。現地調査に入った広井は警報の早期発令を求めた。
奥尻で津波警報が出たのは5分後。津波の第一波は2~3分後に島を襲った。「日本は津波災害をきちんとやらなければだめだ」。広井は99年、日本災害情報学会を設立し、初代会長に就いた。いま会員は900人を超え、災害を検証して提言を発表している。2011年の東日本大震災後、中森は住民約650人の避難行動を調べた。行政無線がないなどで約半数は津波警報を聞いていなかった。「警報は早く出たが、住民に伝わっていなかった」。情報伝達の課題を指摘した。
奥尻の津波の後、気象庁は「3分で津波警報」を掲げた。地震観測網の整備を訴え、予算獲得に動いたのは当時職員だった横田崇・愛知工業大地域防災研究センター長(63)だ。いま、日本災害情報学会の副会長をつとめる。「人はなぜ避難しないのか。人間行動の分析が必要だ」次への備えをこう訴える。(大久保泰)

 

 

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