1月23日 阪神大震災24年 記憶 次世代へ

朝日新聞2019年1月17日夕刊1面:5日後の火災で・・今も抱く自責の念 6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災は17日、発生から24年となった。地震発生時刻の午前5時46分、各地で多くの人が犠牲者へ祈りを捧げた。市民らは、震災と復興の平成が終わろうとするなか、記憶と教訓を次世代へ受け継ごうと誓いを新たにした。 神戸市中央区の東遊園地では「1.17のつどい」が開かれた。午前5時から、参加者らが「1995 つなぐ 1.17」の形に並んだ竹灯籠に一つひとつ火をともした。午前5時46分、冷え込みの中、参加者らは暗闇に浮かび上がる鎮魂のともしびの前で黙禱した。市によると、午前7時までに約5500人が訪れた。
公募で選ばれた「つなぐ」の文字には震災を後世に伝えていく決意がこもる。一方、竹灯籠は製作や運搬を担うボランティアが高齢化し、今年は約5千本に減ったため、ペットボトル約3千本も使われた。市民団体の調査では、17日前後に兵庫県内で開かれる追悼行事は53件で、震災から20年だった2015年の110件から半減した。
神戸市須磨区の納みよしさん(81)は体調が優れず、昨年まで足を運んできた東遊園地での「1.17のつどい」には参加できなかった。布団の中で、亡き母と兄を思った。今も、2人の死を完全に受け入れられていない。時間が流れるほど、夢に見る日が増えた。母がと口だった煮物料理を一緒に作ったり、兄と笑顔で話をしたり・・。2人を救えたのではないか、と思いが募る。
当時、神戸市灘区のマンションに住んでいた。壁に亀裂が入り、玄関のドアはゆがんだ。温水器が倒れ、室内は水浸しに。4日後、夫と長女の3人で大阪市内の親類宅へ身を寄せた。その直前、神戸市兵庫区の実家を訪ねた。屋根が破損した程度。母の荒川スミさん(当時90)と兄の信夫さん(当時60)は無事だった。「大丈夫やから」。母は背筋を伸ばしながら言い、兄は「心配すんな」と繰り返した。安心して実家を離れた。暗転したのは親類宅に着いて、迎えた翌朝だった。電話が鳴った。兵庫署からだった。母と兄が火災に巻き込まれて亡くなった、と告げられた。震災の影響による漏電の可能性が高いとみられる。
大阪から何時間も歩いてたどり着いた兵庫署では、損傷が激しいからと、二つの棺を見せられただけで、2人の姿は見せてもらえなかった。「あんなに元気やったのに・・」。納得できない。「なんで、2人も連れて避難せんかったんか」。自責の念も消えない。
「1.17のつどい」に初めて足を運んだのは、震災から10年後。2人の死を受け入れない一方、「もし、寂しがっていたら・・」という思いも少しずつ芽生えてきたからだ。みよしさんは、5人きょうだいの真ん中。唯一残っていた下から2番目の弟が3年ほど前に亡くなり、思いを共有できるきょうだいはいなくなった。生き続ける意味を問い、自宅の隅で何時間もしゃがみ込んで、ふと我に返ることもある。出口は、見えるのか。今も2人に言いたい。「おばあちゃん、お兄ちゃん、助けられず、ごめんなさい」(巌本新太郎)

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