1月22日てんでんこ 伝える「8」元年

朝日新聞2019年1月17日3面:阪神大震災で、日本初の臨時災害FMが立ち上がった。 1995年1月17日、兵庫県内は阪神・淡路大震災の大きな揺れに見舞われた。県は震災前から、UHFのサンテレビやNHKラジオなど地元4局と災害時協定を結んでいた。災害が起きたとき、生活関連の情報を伝える番組を確保するための協定だ。震災から3日後、番組は始まった。県がまとめた5分程度のお知らせだ。当初は車で被災地に入らないよう呼びかけ、鉄道の開通状況や自衛隊の給水情報なども伝えた。だが、放送枠は1日数回止まり。そこへ国が震災情報専門の臨時災害FM開設を持ちかけた。当時の郵政省は震災前から内々に、災害時に活用できる放送局を検討していた。震災から約1ヵ月後の2月15日、日本初の臨時災害FMが県庁の会議室の一角で産声をあげた。壁のひび割れに毛布を突っ込んですきま風を防ぎ、廊下で原稿を書いた。ボランティアが駆け回った。放送責任者だった芝地稔(71)は「野戦病院」と振り返る。
まず交通規制や支援情報を10~15分にまとめて流した。その後、復旧活動のルポや支援メッセージも流した。日が経つにつれてライフラインの情報が減り、融資の情報が増えた。ボランティアの情報もわずかにあった。芝地は、選抜高校野球大会を伝えた番組が忘れられない。「地域に元気を与えたい」と高校生スタッフが提案した。番組を「県職員の感性だけで決めてはいけない」と思った。発の災害FMは45日間で閉局した。その後、首長の電話一本で開局できる仕組みになり、2011年3月の東日本大震災後は東北3県の24市町で生まれた。避難所、仮設住宅、住宅再建後の住民らを励まし、結ぶのに一役買い、6年以上続いた局もあった。
兵庫県では初の臨時災害FMが開局すると同時に、災害時協定による地元放送局の番組も終わった。当時、県の広報専員としてマイクに向かった北瀬悦子(57)は、心に引っかかることがある。避難所を訪れたとき、テレビを見かけなかった。ラジオの音にも気づかなかった。「情報は、必要としている人に届いているのか」 臨時災害FMを立ち上げた芝地も、後に課題だと思ったことがある。多言語放送だ。阪神には多くの外国人がいるが、気が回らなかった。そのすき間を埋めた人々が、火災で焦土と化した神戸市長田区にいた。(佐々木達也)

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