1月21日 震災右足に刻まれた

朝日新聞2018年1月13日夕刊6面:喫茶店失い警備員に「想像して」 暗闇の中、身動きが取れず、息もできない。神戸市灘区のビル1階。23年前の1995年1月17日未明、岡田一男さん(77)は倒れた壁とこたつの間に上半身を挟まれていた。意識が遠のき、「助からんだろう」とあきらめかけた。がれきの中から助け出されたのは、日付が変わるころだった。一時は命が危ぶまれた。圧迫された筋肉が壊死するクラッシュ症候群になり、右足に障害が残った。自宅と、その隣で30年近く営んでいた喫茶店を同時に失った。入院中、行政の情報は届かず、抽選で当たった仮設住宅は山の上。不自由な足で入居は無理だった。「取り残されている」と悔しさがこみ上げた。
喫茶店で生計を立て、趣味の草野球を続け、海外のマラソン大会に出場する。夢は崩れ、生活のため警備員の仕事に就いた。同僚に「まだ震災の話をしとるんかいな」と言われ、身の上話はやめた。
震災から11年。震災障害者の集会から帰る途中、喫茶店の常連だった牧秀一さん(67)に偶然会った。被災者を支援するボランティア団体の代表をしていた。「話をして少しずつでも背負っている重荷を軽くしたい」と持ちかけた。翌年、「震災障害者と家族の集い」が始まった。体を自由に動かせない悩みや誰にも怒りをぶつけられない苦しさ。「あんたもそうやったん」。うなずきあうたび心が軽くなった。
がれきに埋もれ、救助を待つ間に考えたことがある。「果たす役目があるなら助かるかもしれない」。震災障害者を支える活動が「役目」だと思った。兵庫県は当時、県外にいる避難者に、電話で近況を尋ねる取り組みをしていた。「どうしていますか?」。そんな声をかけてもらうだけでも、孤独感はずいぶん癒される。
しかし、震災障害者に対し、県と神戸市は「既存の障害者施設で十分」とかたくなだった。市長に手紙を手渡し、県と市による実態調査と専用の相談窓口の設置につなげた。厚生労働省も動かした。要望に基づき、身体障碍者手帳の申請書類に書く原因の一つに「自然災害」を加えるよう全国に通知し、対策の検討を促した。
市内の復興住宅に住み、警備員を続ける岡田さんの勤務先は神戸・元町のデパート。夜勤の日の歩数は3万を超え、帰るころには体が鉛のように重くなる。「震災では多くの人が亡くなり、重傷者は『助かってよかった』かも知れない。でも、それで終わりではない。どんな生活を送ってきたのか想像してほしい」(千種辰弥)
震災で負傷し、後遺症が残った「震災障害者」。家や仕事、体の自由を同時に奪われ、社会や行政の支援の手から漏れやすい。助かったのだからーという視線に孤独感を募らせる人も。間もなく阪神・淡路大震災から23年、東日本大震災から7年になる。傷を負い、被災地で生き抜く人々の姿を迫った。

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