1月20日てんでんこ 奥尻から【15】

朝日新聞2018年1月13日3面:日本の災害医療の出発点。救急とは全然違う。最後は生活再建までかかわる。 「Okushiriってどこだ」医師の甲斐達朗(66)は1993年7月の北海道南西沖地震の一報を、留学していた米国・ピッツバーグの喫茶店にあった地元新聞で知った。世界で報じられた日本の大災害。「この災害を研究したいと」と思った。翌月、留学を終え、大阪府の千里救命救急センターに戻った。すぐに、医師や看護師らでつくる国際災害医療研究会のメンバー10人と、被災地の北海道奥尻島に渡った。死因の7割は溺死だった。助かった人に聞いて回ると「海に流され、漂流物につかまっていて救助された」という。あたたかい海では海上捜索が重要だ、と感じた。
精神科医は、被害によって激しいダメージを受ける「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」を調べた。近親者を亡くした人の3割余りが発症していた。国内の災害で初めての本格的な調査とされる。日本ではまだ災害医療の概念が理解されていなかった。米国で研究してきた甲斐にはそれが歯がゆかった。「救急と災害は似ているが、全然違う。災害では、始まりは救急医療だが、生活再建もかかわってくる」
1年半後の95年1月、阪神大震災が起こる。甲斐はすぐに兵庫県の市立芦屋病院にかけつけた。普通に話していた若い女性が突然意識を失い、心電図が激しく揺れた。クラッシュシンドローム(挫減症候群)だ。長い間足を挟まれていたのを聞いていた甲斐は、すぐに千里救命救急センターに搬送させた。阪神では、重症度を判別するトリアージや広域搬送が十分できていなかった。「避けられた災害死」は500人はいたとされる。
その年5月、日本集団災害医療研究会(後に学会)を立ち上げた。トリアージの普及、患者を運ぶヘリコプターの整備、PTSDへの対処。災害医療の課題を指摘した。これらは、奥尻を調べたメンバーが出版した「奥尻からの警鐘」に書かれている。2001年のドクターヘリ運用開始、05年の日本DMAT(災害派遣医療チーム)の創設につながる。「奥尻は日本の災害医療の出発点」。千里救命救急センターの顧問となった甲斐はいま、アジア各国の災害医療の底上げを手伝う。首都直下や南海トラフ地震では各国からの応援が必要になるからだ。(大久保泰)

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